若の浦に潮満ち来れば潟をなみ
葦辺をさして鶴鳴き渡る
- 歌の意味
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若の浦に潮が満ちてくると、干潟がなくなるので、葦の生えている岸辺を目指して鶴が鳴きながら飛んでいく。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 919
詞書は前の歌に続き「反歌二首」
若の浦に潮が満ちてきて干潟がなくなると、鶴が葦の茂る岸辺を目指して鳴きながら飛び渡っていくと詠む歌である。潮の満ちる動きと、鶴の群れが鳴きながら移っていく様子を、視覚と聴覚の両面からとらえた叙景歌で、赤人の代表作として広く知られている。
直前の長歌(第九百十七首)は「神亀元年甲子の冬十月五日、紀伊国に幸せる時に、山部宿祢赤人が作る歌」と題され、神亀元年(724)十月、即位したばかりの聖武天皇の紀伊国行幸に従った折の作である。長歌は、雑賀野から見える沖の島、玉津島山を神代から尊い地として讃えている。玉津島は現在の和歌山市和歌浦にあたり、当時は海に浮かぶ小島であった。
若の浦は現在の和歌山市の和歌浦である。続日本紀によれば、聖武天皇はこの行幸の折に弱浜の名を改めて明光浦としたとされ、この地の景観が特に愛でられたことがうかがわれる。
左注には「右は年月を記さず。ただし玉津島に従駕すと称ふ。因りて今、行幸の年月を検へ注して以て載す」とある。もとの資料には年月がなく、玉津島への行幸に従った時の作とだけ伝えられていたため、編者が行幸の年月を調べて題詞に記したことがわかる。
作者の山部赤人は奈良時代前期の宮廷歌人で、聖武天皇の時代を中心に行幸に従い、多くの歌を残した。官位や経歴は明らかでないが、清らかな叙景歌に優れ、古今和歌集の仮名序では柿本人麻呂と並び称されている。
前歌の第九百十八首が「潮干満ち」と玉藻の隠れるさまを想像したのに続き、本歌は「潮満ち来れば」と満ちてくる潮の中の鶴を描き、反歌二首で潮の満ちる時の移ろいを描き分けている。前歌が静かな玉藻を、本歌が鳴き渡る鶴を詠む点でも、静と動の対をなしている。
初句「若の浦に」は、紀伊国の若の浦、現在の和歌浦を示し、一首の舞台を定めている。
二句「潮満ち来れば」は、潮が満ちてくるとの意で、已然形に「ば」が付いた確定条件である。前歌の「潮干満ち」を受け、時間の推移を示す。
三句「潟をなみ」は、干潟がないのでの意で、「〜を…み」の形で原因を表すミ語法である。鶴が移っていく理由を示している。
四句「葦辺をさして」は、葦の生えている岸辺を目指しての意で、鶴の飛んでいく方向を示し、景に広がりを与えている。
結句「鶴鳴き渡る」は、鶴が鳴きながら飛んでいくの意である。「鶴」を歌語の「たづ」と読み、鳴き声と飛翔の動きを同時に描いて、一首を生き生きとした叙景で結んでいる。
わかのうら:紀伊国の地名。現在の和歌山市和歌浦
かた:遠浅の海で潮が引くと現れる干潟
あしべ:葦の生えている水辺
たづ:鶴の歌語
- 作者
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山部赤人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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沖つ島荒磯の玉藻潮干満ち い隠りゆかば思ほえむかも
- 次の歌
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万代に見とも飽かめやみ吉野の たぎつ河内の大宮所