- 歌の意味
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万代まで見続けても飽きることがあろうか、いや飽きはしない。み吉野の激しく流れる河内の大宮所は。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 921
詞書は前の歌に続き「反歌二首」
み吉野の激流が流れる河内にある離宮の地は、万代まで見続けても飽きることはないと讃える歌である。見飽きることがないと言うことで、この大宮所が永く栄え、行幸が繰り返されることを祝っている。
直前の長歌(第九百二十首)は「神亀二年乙丑の夏五月、芳野の離宮に幸せる時に、笠朝臣金村が作る歌」と題され、神亀二年(725)五月、聖武天皇の吉野行幸に従った折の作である。長歌は吉野川の清い瀬に千鳥や河鹿が鳴く景を讃え、「万代にかくしもがもと天地の神をぞ祈る」と、この地の繁栄が永く続くことを天地の神に祈って結んでいる。
作者の笠金村は奈良時代前期の歌人で、元正天皇から聖武天皇の時代にかけて行幸に従い、多くの讃歌を残した宮廷歌人である。山部赤人と並び、この時期を代表する歌人とされる。
本歌の「見とも飽かめや」は、本巻の第九百三十七首の二句と同じ句で、吉野の大宮所と名寸隅の浜という異なる行幸の地を、同じ反語の讃辞で讃えている。また本歌の「たぎつ河内」は、巻頭近くの第九百八首の「清き河内のたぎつ白波」と語を共有し、養老七年と神亀二年の二度の吉野行幸の歌を結びつけている。
初句「万代に」は、万年の後までもの意で、長歌の結び「万代にかくしもがも」を受けている。
二句「見とも飽かめや」は、見続けても飽きることがあろうか、いや飽きはしないの意の反語である。「とも」は逆接の仮定、「め」は推量の「む」の已然形、「や」は反語を表す。ここで意味が切れる二句切れの歌である。
三句「み吉野の」の「み」は美称の接頭語で、吉野を尊んで呼ぶ言い方である。
四句「たぎつ河内の」は、激しく流れる川に囲まれた土地の意で、長歌の「落ちたぎつ吉野の川」を受けている。
結句「大宮所」は、離宮のある所の意で、体言止めによって讃える対象を示して一首を結んでいる。倒置の形で、二句の「見とも飽かめや」の対象が結句で明らかになる。
よろづよ:万年、限りなく長い年月
たぎつ:水が激しく逆巻いて流れる
かふち:川が曲がって流れ、川に囲まれた土地
おほみやところ:宮殿、離宮のある所
- 作者
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笠金村
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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若の浦に潮満ち来れば潟をなみ 葦辺をさして鶴鳴き渡る
- 次の歌
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皆人の命も我れもみ吉野の 滝の常磐の常ならぬかも