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荒野らに里はあれども大君の
敷きます時は都となりぬ

歌の意味
荒れた野に里はあるけれども、大君がお治めになる時には都となった。
鑑賞
巻第六 雑歌 929

詞書は前の歌に続き「反歌二首」
 荒れ野の中の里にすぎなかった難波も、大君がお治めになる時には都となったと讃える歌である。天皇がその地にいることで、ひなびた土地がたちまち都に変わるとうたうことで、天皇の威光を讃えている。
 直前の長歌(第九百二十八首)は「冬十月、難波の宮に幸せる時に、笠朝臣金村が作る歌」と題され、神亀二年(725)十月、聖武天皇の難波行幸に従った折の作である。長歌は、古びた里と人々が思っていた難波の国に、かつての長柄の宮のように宮殿が高く造られ、味経の原に廬を構えた百官によって都ができたと讃えている。
 長柄の宮は、孝徳天皇の難波長柄豊碕宮を指す。かつて都のあった難波が再び都として栄える喜びを、長歌の「都成したり」を受けて反歌で端的に述べている。
 作者の笠金村は奈良時代前期の歌人で、元正天皇から聖武天皇の時代にかけて行幸に従い、多くの讃歌を残した宮廷歌人である。山部赤人と並び、この時期を代表する歌人とされる。

 反歌二首は、本歌が「都となりぬ」と難波を天皇の都として讃え、次歌の第九百三十首が「旅の宿りに楫の音聞こゆ」と行幸の宿りから聞く海辺の音を詠み、都としての難波と旅先としての難波を詠み分けている。
 初句「荒野らに」は、荒れた野にの意で、「ら」は語調を整える接尾語である。長歌の「古りにし里」を受けている。
 二句「里はあれども」は、里はあるけれどもの意の逆接で、もとは都ではなかったことを示し、下の句との対比を作っている。
 三句「大君の」は、天皇を指し、次の「敷きます」の主語となる。
 四句「敷きます時は」は、お治めになる時にはの意である。「敷く」は領有し統治する意で、「ます」は尊敬の補助動詞である。
 結句「都となりぬ」は、都となったの意で、完了の「ぬ」によって、天皇の統治によって変化が成し遂げられたことをきっぱりと言い切っている。

あらの:人の手の入らない荒れた野
しく:土地を領有し治める
みやこ:天皇の宮殿のある所
作者
笠金村
出典
万葉集
前の歌
あしひきの山にも野にも御狩人 さつ矢手挟み騒きてあり見ゆ
次の歌
海人娘女棚なし小舟漕ぎ出らし 旅の宿りに楫の音聞こゆ