玉藻刈る唐荷の島に島廻する
鵜にしもあれや家思はずあらむ
- 歌の意味
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玉藻を刈る唐荷の島で、島のまわりを巡っている鵜ででもあるというのか。家を思わずにいられようか。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 943
詞書は前の歌に続き「反歌三首」
唐荷の島のまわりをめぐる鵜ならばともかく、人である自分が家を思わずにいられようかと詠む歌である。直前の長歌(第九百四十二首)は「辛荷の島を過ぐる時に、山部宿祢赤人が作る歌」と題され、妻と別れて船旅を続ける作者が、淡路の野島を過ぎ、辛荷の島の間から家の方を見やると、青山も白雲に隔てられて見えないと嘆いている。
長歌の嘆きを受け、この反歌は眼前の島をめぐって無心に漁をする鵜の姿に目をとめ、それと引き比べることで、家を離れた旅人の思いの深さを浮かび上がらせている。唐荷の島は今の兵庫県たつの市御津町室津の沖に浮かぶ小島群とされる。
作者の山部赤人は奈良時代前期の宮廷歌人で、聖武天皇の行幸に従って多くの讃歌を残した。自然の景を清澄に描く叙景歌に優れ、後世、柿本人麻呂と並んで歌聖と仰がれた歌人である。
初句「玉藻刈る」は、海人が美しい藻を刈る意で、海辺の地名にかかる枕詞的な言葉である。本巻の第九百三十六首の「玉藻刈る海人娘子ども」とも同じ句を共有し、播磨の海辺を詠む歌々をつないでいる。
二句「唐荷の島に」は、長歌の「辛荷の島」と同じ島を指す。表記は異なるが、同じ地名を反歌で繰り返している。
三句「島廻する」は、島のまわりを巡るの意で、鵜が島陰を泳ぎ回って餌をあさる様子をいう。
四句「鵜にしもあれや」の「しも」は強意、「や」は反語の係助詞で、鵜ででもあるというのか、そうではないという意である。係助詞「や」は結句の「あらむ」で結ばれている。
結句「家思はずあらむ」は、家を思わずにいられようかの意で、四句の「や」を受けて反語の結びとなっている。本巻の第九百四十首の「家し偲はゆ」と同じく、旅先で家を思う心を結句に置いている。
たまも:美しい海藻。「玉」は美称
しまみ:島のまわり。また島のまわりを巡ること
う:鵜。水に潜って魚を捕る鳥
- 作者
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山部赤人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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明石潟潮干の道を明日よりは 下笑ましけむ家近づけば
- 次の歌
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島隠り我が漕ぎ来れば羨しかも 大和へ上るま熊野の船