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須磨の海女の塩焼き衣の慣れなばか
一日も君を忘れて思はむ

歌の意味
須磨の海女が塩を焼くときの衣がなれてくるように、慣れ親しんでしまったならば、一日でもあなたを忘れて思うことがあろうか。
鑑賞
巻第六 雑歌 947

詞書は前の歌に続き「反歌一首」
 須磨の海女の塩焼き衣が着なれるように、あなたに慣れ親しんだのならともかく、一日たりともあなたを忘れることなどないと詠む恋の歌である。直前の長歌(第九百四十六首)は「敏馬の浦を過ぐる時に、山部宿祢赤人が作る歌」と題され、敏馬の浦の深海松やなのりそに託して、逢いたいけれども名が立つのを惜しんで使いも遣らずにいる苦しさを述べている。
 長歌が恋しい人に逢えないもどかしさを歌ったのを受け、この反歌は、まだ慣れ親しむほど逢えていないからこそ片時も忘れられないという思いを、海辺の生活の具体的な品に託して述べている。左注には「右は作歌の年月未詳なり。但し類を以ての故にこの次に載す」とあり、作歌の時期はわからないが、播磨の海辺を旅する歌の類として、この位置に配列されている。
 作者の山部赤人は奈良時代前期の宮廷歌人で、聖武天皇の行幸に従って多くの讃歌を残した。自然の景を清澄に描く叙景歌に優れ、後世、柿本人麻呂と並んで歌聖と仰がれた歌人である。

 本歌の「塩焼き衣」は、本巻の第九百三十五首の「藻塩焼きつつ」、第九百三十八首の「塩焼くと人ぞさはにある」と同じく海辺の塩焼きを詠み込み、播磨から摂津の海辺を旅する歌々に共通する景を受け継いでいる。
 初句「須磨の海女の」は、摂津国須磨の海辺で漁をし、塩を焼く海人を指す。須磨は今の神戸市須磨区にあたる。六音の字余りの句である。
 二句「塩焼き衣の」は、塩を焼く作業のときに着る粗末な衣の意である。初句と二句が、衣が着古されて体になじむ意の「なれ」を導く序詞となっている。
 三句「慣れなばか」は、慣れ親しんでしまったならばの意である。「なれ」には、衣が着古されてなじむ意と、人に慣れ親しむ意とが重ねられている。「か」は反語の係助詞で、結句の「思はむ」で結ばれる。
 四句「一日も君を」は、たとえ一日でもあなたをの意で、「も」が一日という短さを強めている。
 結句「忘れて思はむ」は、忘れて思うことがあろうか、いやないの意で、三句の「か」を受けた反語の結びである。忘れることなどないという強い思いが、この反語によって示されている。

すま:摂津国の地名。今の神戸市須磨区
しほやききぬ:塩を焼く作業のときに着る衣
なる:衣が着古されて体になじむ意と、人に慣れ親しむ意
作者
山部赤人
出典
万葉集
前の歌
風吹けば波か立たむとさもらひに 都太の細江に浦隠り居り
次の歌
梅柳過ぐらく惜しみ佐保の内に 遊びしことを宮もとどろに