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隼人の瀬戸の巌も鮎走る
吉野の滝になほしかずけり

歌の意味
隼人の瀬戸の大岩も、鮎が走る吉野の激流には、やはり及ばないことだ。
鑑賞
巻第六 雑歌 960

詞書「帥大伴卿、遥かに芳野の離宮を思ひて作る歌一首」
 名高い隼人の瀬戸の大岩の景も、鮎の走る吉野の激流にはやはり及ばないと、遠く吉野の離宮を思って詠んだ歌である。大宰帥として筑紫にあった旅人が、都に近い吉野の地を懐かしんだものである。
 隼人の瀬戸は薩摩国の海峡で、今の鹿児島県の長島と九州本土の間の黒之瀬戸にあたるとされる。辺境の雄大な景と比べてもなお吉野がまさるとすることで、吉野への思い、ひいては都への望郷の念を表している。
 作者の大伴旅人は大伴安麻呂の子で、家持の父にあたる。養老四年(720)には征隼人持節大将軍として隼人の反乱の鎮圧にあたった。神亀年間の末に大宰帥として筑紫に下り、天平二年(730)に大納言となって都へ帰った。

 本歌の「吉野の滝」は、巻頭の養老七年の吉野行幸の歌群、とりわけ本巻の第九百九首の「滝の河内は見れど飽かぬかも」と響き合う。巻の初めに讃えられた吉野の激流が、遠く筑紫の地から思い起こされる形で、ここに再び現れている。
 初句「隼人の」は、南九州に住んでいた隼人の地の意で、筑紫よりさらに遠い辺境の地を示している。
 二句「瀬戸の巌も」は、海峡の大岩もの意である。「も」は、名高い景であってもという含みを持たせている。
 三句「鮎走る」は、鮎が勢いよく泳ぐの意で、吉野川の清流を印象づけ、四句の「吉野」を修飾している。
 四句「吉野の滝に」は、吉野川の激流での意である。上代の「滝」は、滝壺に落ちる滝ではなく、激しく流れる急流を指す。
 結句「なほしかずけり」は、やはり及ばないことだの意で、「しく」は及ぶ、「けり」は詠嘆の助動詞である。二句の「も」を受け、名高い景と比べた上での吉野への深い思いを言い切っている。

せと:幅の狭い海峡
いはほ:大きな岩
たき:激しく流れる急流
しく:及ぶ、匹敵する
作者
大伴旅人
出典
万葉集
前の歌
行き帰り常に我が見し香椎潟 明日ゆ後には見むよしもなし
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湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく 妹に恋ふれや時わかず鳴く