湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく
妹に恋ふれや時わかず鳴く
- 歌の意味
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湯の原で鳴いている葦辺の鶴は、私のように妻を恋い慕っているからか、時を分かたず鳴いている。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 961
詞書「帥大伴卿、次田の温泉に宿り、鶴が喧くを聞きて作る歌一首」
湯の原で絶え間なく鳴く鶴の声を聞き、鶴も自分と同じように妻を恋い慕って鳴いているのだろうかと詠む歌である。次田の温泉は、今の福岡県筑紫野市の二日市温泉にあたる。
旅人は大宰府に下って間もなく、ともに筑紫へ伴った妻の大伴郎女を亡くしている。「妹に恋ふれや」には、その亡き妻への思いがこめられているとみられ、夜の温泉宿で聞く鶴の声に、自らの悲しみを重ね合わせている。
作者の大伴旅人は大伴安麻呂の子で、家持の父にあたる。神亀年間の末に大宰帥として筑紫に下り、天平二年(730)に大納言となって都へ帰った。翌天平三年に没している。
本歌は、本巻の第九百五十三首の「さを鹿の鳴くなる山」と同じく、鳴く生き物の声に恋の思いを重ねる趣向をとる。牡鹿が妻を呼ぶ声を背景に置いた歌に対し、本歌では鶴の声が作者自身の妻恋いの思いと重ね合わされている。
初句「湯の原に」は、温泉の湧き出る野原での意で、詞書の次田の温泉のあたりを指している。
二句「鳴く葦鶴は」は、葦辺にいて鳴いている鶴はの意である。結句の「鳴く」と呼応し、一首の初めと終わりに鶴の鳴き声を置いている。
三句「我がごとく」は、私と同じようにの意で、鶴の姿に自らを重ねる言い方である。
四句「妹に恋ふれや」は、妻を恋い慕っているからだろうかの意で、「恋ふれ」は已然形、「や」は疑問の係助詞である。係助詞「や」は結句の「鳴く」で結ばれている。
結句「時わかず鳴く」は、時を分かたず絶え間なく鳴いているの意で、四句の「や」を受けて連体形で結ぶ。二句の「鳴く」を繰り返して、途切れることのない悲しみを印象づけている。
ゆのはら:温泉の湧き出る野原
あしたづ:葦辺にいる鶴
こふ:恋い慕う
いも:男性が妻や恋人を親しんで呼ぶ語
- 作者
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大伴旅人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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隼人の瀬戸の巌も鮎走る 吉野の滝になほしかずけり
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奥山の岩に苔生し畏くも 問ひたまふかも思ひあへなくに