我が背子に恋ふれば苦し暇あらば
拾ひて行かむ恋忘貝
- 歌の意味
-
あなたを恋しく思うと苦しい。暇があったら、拾って行こう、恋忘貝を。
- 鑑賞
-
巻第六 雑歌 964
詞書「同じく坂上郎女、京に向かふ海路にて浜の貝を見て作る歌一首」
あなたを恋い慕うのは苦しいので、暇があれば、恋を忘れさせるという恋忘貝を拾って行こうと詠む歌である。直前の長歌(第九百六十三首)は「冬十一月、大伴坂上郎女、帥の家を発ちて道に上り、筑前国宗形郡の名児山を越ゆる時に作る歌」と題されており、この歌も同じ天平二年(730)冬十一月、大宰府から都へ向かう船旅の途中、浜辺の貝を見て詠まれたものである。
恋忘貝という名に心を寄せ、それを拾えば恋の苦しさを忘れられるのではないかという思いを、軽やかな調子で詠んでいる。「我が背子」は女性が親しい男性を呼ぶ語であるが、ここで誰を指すかは明らかでない。
作者の大伴坂上郎女は大伴安麻呂の娘で、大伴旅人の異母妹にあたる。旅人の妻の没後、大宰府に下って旅人の家を支えたとされる。
本歌は、恋の苦しさから逃れるために恋を忘れようとする歌であり、本巻の第九百四十七首の「一日も君を忘れて思はむ」が片時も忘れないと誓うのとは、「忘れ」をめぐって反転した構図をなしている。
初句「我が背子に」は、あなたにの意で、「背子」は女性が夫や恋人を親しんで呼ぶ語である。
二句「恋ふれば苦し」は、恋い慕うと苦しいの意で、ここで意味が切れる二句切れの歌である。恋の苦しさを率直に言い切っている。
三句「暇あらば」は、暇があったならばの意で、船旅の合間に浜に降りる機会を思わせる。
四句「拾ひて行かむ」は、拾って行こうの意で、「む」は意志の助動詞である。本巻の第九百五十七首の「朝菜摘みてむ」、第九百五十八首の「玉藻刈りてな」と同じく、浜辺で何かを採ろうとする意志を詠んでいる。
結句「恋忘貝」は、持っていると恋の苦しさを忘れるという貝の名で、体言止めで結んでいる。四句で拾う対象を後から示す倒置の形になっている。
せこ:女性が夫や恋人を親しんで呼ぶ語
ひりふ:拾う
こひわすれがひ:持っていると恋の苦しさを忘れるという貝
- 作者
-
大伴坂上郎女
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
奥山の岩に苔生し畏くも 問ひたまふかも思ひあへなくに
- 次の歌
-
おほならばかもかもせむを畏みと 振りたき袖を忍びてあるかも