大和道は雲隠りたりしかれども
我が振る袖をなめしと思ふな
- 歌の意味
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大和への道は雲に隠れて見えない。けれども、私が振る袖を無礼だと思わないでほしい。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 966
詞書は前の歌に続き「冬十二月、大宰帥大伴卿の京に上る時に、娘子が作る歌二首」
大和への道は雲に隠れるほど遠いが、それでも別れに私が振る袖を無礼だと思わないでほしいと訴える歌である。天平二年(730)十二月、大宰帥大伴旅人が大納言に任じられて都へ上る際に、見送りの娘子が詠んだ二首の二首目である。前歌の第九百六十五首では、身分の隔たりを畏れて振りたい袖をこらえていると詠んだが、本歌ではこらえきれずに袖を振る心を、非礼をわびる形で述べている。
左注によれば、旅人は大宰帥のまま大納言を兼ねて京へ向かい、この日、水城に馬を止めて大宰府の方を振り返った。見送る府の官人たちの中に児島という名の遊行女婦がおり、別れやすく会いがたいことを嘆いて、涙をぬぐいながら袖を振る歌を口ずさんだという。前歌の「振りたき袖を忍びて」から本歌の「我が振る袖を」へと、ためらいから行動へ移る二首の流れが見どころである。
作者の児島は、大宰府で官人の宴席などに侍った遊行女婦で、左注に「その字を児島といふ」とある。伝は未詳であるが、旅人との別れを詠んだこの二首によって名を残している。
次歌の第九百六十七首は旅人の和ふる歌で、本歌の初句「大和道は」を「大和道の」と受け、さらに娘子の名「児島」を吉備の児島に掛けて返しており、贈答の対をなしている。また前歌の「振りたき袖を忍びて」に対し、本歌は「我が振る袖を」と、こらえていた袖をついに振る構図になっている。
初句「大和道は」は、大宰府から大和へ向かう道をいう。係助詞「は」で取り立て、旅人がこれから進む遠い道のりを示している。
二句「雲隠りたり」は、道が雲に隠れて見えないの意で、大和までの道の遠さを表す。「たり」は存続の助動詞で、ここで意味が切れる二句切れである。
三句「しかれども」は、そうではあるがの意で、二句までの状況を受けて下の句の願いへと転じる。
四句「我が振る袖を」は、別れに際して振る袖をいう。袖を振るのは別れを惜しみ、相手の魂を招き寄せる所作とされる。前歌で「忍びて」いた袖を、ここでは実際に振っている。
結句「なめしと思ふな」は、無礼だと思わないでほしいの意である。「なめし」は無礼だの意の形容詞で、「な」は禁止の終助詞である。身分の高い旅人に袖を振る非礼をわびつつ、別れの情を抑えきれない思いを伝えている。仮名の行では「と思ふ」がつづまった「ともふ」の形で読まれている。
やまとぢ:大和へ向かう道
くもがくる:雲に隠れる
うかれめ:遊行女婦。宴席に侍り、歌舞などで興を添えた女性
- 作者
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児島
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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おほならばかもかもせむを畏みと 振りたき袖を忍びてあるかも
- 次の歌
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大和道の吉備の児島を過ぎて行かば 筑紫の児島思ほえむかも