指進の栗栖の小野の萩の花
散らむ時にし行きて手向けむ
- 歌の意味
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栗栖の小野の萩の花が散るころにこそ、行って神に手向けをしよう。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 970
詞書は前の歌に続き「三年辛未、大納言大伴卿の寧楽の家に在りて故郷を思ふ歌二首」
栗栖の小野に咲く萩の花が散るころには、きっと故郷へ行って神に手向けをしようと詠んだ歌である。天平三年(731)、奈良の家にいた大伴旅人が故郷を思って詠んだ二首の二首目である。前歌の第九百六十九首が今すぐにでも行って見たいと願ったのに対し、本歌は萩の散る秋という時を定めて、故郷を訪ねる心づもりを述べている。
手向けは旅の途中や土地の神に幣などを捧げて祈ることで、故郷の神に詣でたいという思いがこもる。旅人はこの年の七月に没しており、萩の散るころに行こうという願いがかなったかどうかはわからない。
作者の大伴旅人は大伴安麻呂の子で、家持の父である。神亀年間の末に大宰帥として筑紫に下り、天平二年(730)十二月に大納言に任じられて都へ戻った。翌天平三年(731)七月に従二位大納言で没している。
初句の原文「指進乃」は訓み方が定まらない難訓の句で、仮名の行も伏せ字となっている。ここでは本文を訓読どおり「指進の」とし、ローマ字は寛永版本の訓「さしすきの」に従って「Sashisuki no」とした。栗栖の小野の所在も明らかではない。
前歌の第九百六十九首とは、ともに「行きて」を用いて故郷を訪ねたい思いを述べる対をなす。前歌の「しましくも」がすぐにでもという今の願いであるのに対し、本歌の「散らむ時にし」は秋の萩の散るころという先の時を定めており、時の対比が見られる。
初句「指進の」は、訓みの定まらない難訓の句である。寛永版本では「さしすきの」と訓み、次の「栗栖」にかかる語とみられるが、意味は明らかでない。
二句「栗栖の小野の」は、栗栖という地の野の意である。「小野」の「小」は語調を整える接頭語である。故郷の近くの地とみられるが、所在は定かでない。
三句「萩の花」は、秋を代表する花である。故郷の野に咲く萩を思い描き、訪ねる季節を示している。
四句「散らむ時にし」は、散るであろうその時にの意で、「し」は強意の副助詞である。花の盛りではなく散るころを選んでいる点に、手向けの季節を定める意図がうかがえる。
結句「行きて手向けむ」は、行って手向けをしようの意で、「む」は意志を表す。前歌の「行きて見てしか」と同じく「行きて」で始まり、願望から決意へと言い方を強めている。
をの:野、野原
たむく:神に幣などを捧げて祈る
- 作者
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大伴旅人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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しましくも行きて見てしか神なびの 淵はあせにて瀬にかなるらむ
- 次の歌
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千万の軍なりとも言挙げせず 取りて来ぬべき男とぞ思ふ