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千万の軍なりとも言挙げせず
取りて来ぬべき男とぞ思ふ

歌の意味
たとえ千万の軍勢であっても、言挙げなどせずに討ち取って来るに違いない男子だと思う。
鑑賞
巻第六 雑歌 972

詞書は前の歌に続き「反歌一首」
 たとえ千万の敵軍であっても、大言を吐くことなく討ち取って来るに違いない男子だと、旅立つ人を讃えた歌である。直前の長歌(第九百七十一首)は「四年壬申、藤原宇合卿の西海道節度使に遣さるる時に、高橋連虫麻呂が作る歌」と題され、天平四年(732)、藤原宇合が西海道節度使として筑紫へ下る際に贈られた作である。
 長歌は、龍田山を越えて敵を守る筑紫へ向かう宇合を送り、春になったら早く帰ってきてほしい、帰ってきたら迎えに出ようと、無事の帰還を願って結んでいる。反歌の本歌は、その宇合を武勇にすぐれた男子として讃え、使命を果たして帰ることを確信する思いを述べている。左注には、補任の記録を調べると八月十七日に東山、山陰、西海の節度使が任じられたとある。
 作者の高橋虫麻呂は奈良時代前期の歌人で、伝説を題材とした長歌や旅の歌で知られる。藤原宇合に仕えたとみられ、宇合が常陸守であったころにその下にいたと考えられている。

 本歌の結句の「男(をのこ)」は、本巻の第九百六十八首の「ますらを」、第九百七十四首の「大夫」、第九百七十八首の「士(をのこ)」とともに、この前後に続く男子のあるべき姿を詠む歌々と響き合っている。
 初句「千万の」は、数がきわめて多いことをいい、敵の軍勢のおびただしさを誇張して示す。
 二句「軍なりとも」は、軍勢であってもの意で、「とも」は逆接の仮定を表す。どれほどの大軍であってもという強い言い方である。
 三句「言挙げせず」は、言葉に出して言い立てることをしないでの意である。言挙げは、ことさらに言葉に出して言い立てることで、神意に背くものとして慎まれた。大言を吐かず黙って事を成す姿を讃えている。字余りの句である。
 四句「取りて来ぬべき」は、討ち取って来るに違いないの意である。「ぬべし」は確かにそうなるはずだという強い推量を表す。
 結句「男とぞ思ふ」は、男子だと思うの意で、係助詞「ぞ」を受けて連体形「思ふ」で結ぶ係り結びである。宇合への信頼をきっぱりと言い切っている。字余りの句である。

ちよろづ:千万、数がきわめて多いこと
いくさ:軍勢、兵士
ことあげ:言葉に出して言い立てること
をのこ:男子
作者
高橋虫麻呂
出典
万葉集
前の歌
指進の栗栖の小野の萩の花 散らむ時にし行きて手向けむ
次の歌
大夫の行くといふ道ぞおほろかに 思ひて行くな大夫の伴