- 歌の意味
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高円山が高いからだろうか、出てくる月が遅く照っているのは。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 981
詞書「大伴坂上郎女の月の歌三首」
高円山が高いからだろうか、昇ってくる月がなかなか照らないのは、と月の出の遅さをいぶかしむ歌である。本巻には第九百八十首から第九百八十七首まで、月を詠んだ歌が作者を替えて八首続けて並べられている。本歌は大伴坂上郎女の月の歌三首の一首目で、一連の二首目にあたる。
高円山は奈良の都の東南、春日山の南に連なる山で、都から月の出る山として眺められた。山の高さのために月の出が遅れていると推し量るところに、月を待ちわびる心が表れている。
作者の大伴坂上郎女は大伴安麻呂の娘で、旅人の異母妹にあたる。甥の大伴家持の叔母であり、のちに娘の坂上大嬢が家持の妻となった。
前歌の第九百八十首の「御笠の山を高みかも」に対し、本歌は「高円山を高みかも」と同じ三句を用い、山が高いために月の出が遅いという同じ趣向を、御笠山から高円山へ山を移して詠んでいる。前歌が「月の出で来ぬ」とまだ出ない月を詠んだのに対し、本歌は「出で来る月の遅く照る」と、出てはきたがまだ明るく照らない月を詠んでおり、月の出の段階が一歩進んでいる。
初句「狩高の」は、「高円」にかかる語である。高円の野で狩をしたことに由来するともいわれ、地名とも枕詞とも解される。
二句「高円山を」は、奈良の都の東南にある高円山をいう。「山を高み」と続き、山が高いのでの意となる。
三句「高みかも」は、高いからだろうかの意である。「かも」は疑問の係助詞で、結句の「らむ」で結ぶ。前歌と同じ句である。
四句「出で来る月の」は、昇ってくる月がの意で、月がすでに山の端に出はじめていることを示す。
結句「遅く照るらむ」は、遅く照っているのだろうの意で、三句の係助詞「かも」を受けて現在推量の助動詞「らむ」の連体形で結ぶ係り結びである。月の光が満ちるのを待つ思いがこもっている。
たかまとやま:高円山。奈良の都の東南にある山
いでく:出てくる
- 作者
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大伴坂上郎女
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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雨隠り御笠の山を高みかも 月の出で来ぬ夜はくたちつつ
- 次の歌
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ぬばたまの夜霧の立ちておほほしく 照れる月夜の見れば悲しさ