ぬばたまの夜霧の立ちておほほしく
照れる月夜の見れば悲しさ
- 歌の意味
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夜霧が立ちこめて、ぼんやりと照っている月夜は、見ると悲しいことだ。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 982
詞書は前の歌に続き「大伴坂上郎女の月の歌三首」
夜霧が立ちこめ、ぼんやりとかすんで照る月夜を見ると悲しくなると詠んだ歌である。本巻には第九百八十首から第九百八十七首まで、月を詠んだ歌が作者を替えて八首続けて並べられている。本歌は大伴坂上郎女の月の歌三首の二首目である。
前歌では月の出の遅さをいぶかしんだが、本歌では昇った月が夜霧にかすんで、はっきりと照らない。そのおぼろな光を見ることが、そのまま悲しさとして胸に迫っている。晴れやかな月ではなく、霧にかすむ月に心の憂いを重ねている点に、この歌の味わいがある。
作者の大伴坂上郎女は大伴安麻呂の娘で、旅人の異母妹にあたる。甥の大伴家持の叔母であり、のちに娘の坂上大嬢が家持の妻となった。
本歌の結句「見れば悲しさ」は、次歌の第九百八十三首の結句「見らくしよしも」と対をなしている。本歌が夜霧にかすむ月を見て悲しいと詠むのに対し、次歌は天の原を渡る月の光を見るのは快いと詠み、同じ作者の月の歌三首の中で、月を見る心の明暗が反転した構図になっている。
初句「ぬばたまの」は、「夜」にかかる枕詞である。ぬばたまはヒオウギの実で、その黒さから夜や黒にかかる。
二句「夜霧の立ちて」は、夜霧が立ちこめての意で、月の光をさえぎるものを示している。
三句「おほほしく」は、ぼんやりと、はっきりしないさまをいう。月の光のかすみぐあいを表すとともに、心の晴れない気分をも響かせている。
四句「照れる月夜の」は、照っている月夜がの意である。「照れる」は照っているの意で、かすみながらも照っている月を示す。
結句「見れば悲しさ」は、見ると悲しいことだの意で、名詞「悲しさ」で結ぶ体言止めである。かすむ月を見た心の動きを、余韻をもって言いさしている。
ぬばたま:ヒオウギの実。黒く丸いことから、夜や黒にかかる枕詞となる
よぎり:夜に立つ霧
つくよ:月夜。月、また月の照る夜
- 作者
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大伴坂上郎女
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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狩高の高円山を高みかも 出で来る月の遅く照るらむ
- 次の歌
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山の端のささら愛壮士天の原 門渡る光見らくしよしも