かくしつつ遊び飲みこそ草木すら
春は咲きつつ秋は散りゆく
- 歌の意味
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このようにして遊び、飲んでほしい。草木でさえ、春は咲き栄えても秋には散ってゆくのだから。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 995
詞書「大伴坂上郎女、親族を宴する歌一首」
親族を招いた宴の席で、このように皆で楽しく遊び、酒を飲んでほしいと呼びかけ、その理由として、草木でさえ春には咲いても秋には散ってゆくのだと述べた歌である。移ろいやすい世のはかなさを踏まえ、だからこそ今この時の集いを大切にしようとする、宴の主人としての心がこめられている。
坂上郎女は大伴家の家刀自として一族の祭祀や宴をとりしきったとされ、本歌もその立場から親族をもてなした折の作とみられる。草木の盛衰に人の世を重ねる発想は、宴の歌らしい明るさの中に無常の思いをにじませている。
作者の大伴坂上郎女は大伴安麻呂の娘で、大伴旅人の異母妹にあたる。坂上の里に住んだことからこの名で呼ばれ、甥の大伴家持を後見し、娘の坂上大嬢はのちに家持の妻となった。万葉集を代表する女性歌人の一人である。
本歌は、第九百九十首の千代の松や第九百九十一首の絶えない泊瀬川が永続を讃えたのとは反対に、草木の移ろいを詠み、時の流れの無常の側を示している。
初句「かくしつつ」は、このようにしながらの意である。「かく」は今まさに行われている宴のありさまを指し、「つつ」は動作の継続を表す。
二句「遊び飲みこそ」は、遊んで酒を飲んでほしいの意である。「こそ」は相手への希望を表す終助詞で、ここで意味が切れる二句切れの歌である。
三句「草木すら」は、草や木でさえの意である。「すら」は一つを挙げて他を類推させる助詞で、心のない草木でさえそうなのだから、まして人はという含みをもたせている。
四句「春は咲きつつ」は、春には咲き栄えながらの意である。「つつ」は、咲き栄えるさまが続くことを表している。
結句「秋は散りゆく」は、秋には散ってゆくの意である。四句の「春は」と結句の「秋は」が対句となり、盛りと衰えを鮮やかに対比させて一首を結ぶ。
くさき:草と木
あそぶ:宴などで歌舞をして楽しむ
- 作者
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大伴坂上郎女
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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振り放けて三日月見れば一目見し 人の眉引き思ほゆるかも
- 次の歌
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御民我れ生ける験あり天地の 栄ゆる時にあへらく思へば