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茅渟廻より雨ぞ降り来る四極の海人
綱手干したり濡れもあへむかも

歌の意味
茅渟の海辺の方から雨が降ってくる。四極の海人は綱手を干している。濡れるのに堪えられるだろうか。
鑑賞
巻第六 雑歌 999

詞書は前の歌に続き「春三月、難波の宮に幸せる時の歌六首」
 茅渟の海辺の方から雨が降ってくるのに、四極の海人は綱手を干したままである、あれでは濡れてしまうのではないかと気づかう歌である。天平六年(734)三月、聖武天皇が難波宮に行幸した折の歌六首の一首である。左注に「右一首、住吉の浜に遊覧して宮に還りし時に、道の上にして守部王、詔に応へて作る歌」とあり、住吉の浜に遊んだ帰り道で、天皇の命に応じて詠んだものと知られる。
 茅渟は和泉国の海岸一帯を指し、現在の大阪湾南東部の沿岸にあたる。四極は所在に諸説があるが、住吉付近の地とみられる。雨雲の近づく海辺の景と、干した綱を気にかける海人の暮らしとを、行幸の道中の目で生き生きととらえている。
 作者の守部王は舎人親王の子で、奈良時代の皇族である。
 なお四句の「綱手」は、底本に「網手綱」とあるのを、万葉集古義に従って「綱手」と改めた本文による。

 初句「茅渟廻より」は、茅渟の海辺の方からの意である。「廻」は海岸の曲がり込んだ所をいい、雨の来る方角を示している。
 二句「雨ぞ降り来る」は、雨が降ってくるの意である。「ぞ」は強意の係助詞で、連体形「来る」で結ぶ係り結びとなっている。ここで意味が切れる二句切れである。
 三句「四極の海人」は、四極の漁師の意である。字余りの句で、雨の迫る中にいる海人へと視線が移る。
 四句「綱手干したり」は、綱手を干しているの意である。「綱手」は舟を引く綱で、「たり」は存続を表す。ここでも意味が切れ、雨と干された綱との取り合わせが示される。
 結句「濡れもあへむかも」は、濡れても堪えられるだろうかの意である。「あふ」は堪える、しおおせる意で、「かも」は疑問と詠嘆を表す。海人の綱を気づかう心で一首を結ぶ。

ちぬ:和泉国の海岸一帯、大阪湾南東部の沿岸
しはつ:地名、住吉付近とみられる
つなで:舟を引く綱
あふ:堪える、しおおせる
作者
守部王
出典
万葉集
前の歌
眉のごと雲居に見ゆる阿波の山 懸けて漕ぐ舟泊り知らずも
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子らしあらばふたり聞かむを沖つ洲に 鳴くなる鶴の暁の声