神代より吉野の宮にあり通ひ
高知らせるは山川をよみ
- 歌の意味
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神代の昔から吉野の宮に通い続けて、宮殿を高々とお造りになっているのは、山と川がよいからである。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 1006
詞書は前の歌に続き「反歌一首」
神代の昔から代々の天皇が吉野の宮に通い続け、宮殿を高々と営んでこられたのは、この地の山と川がすぐれているからだと讃えた歌である。直前の長歌(第千五首)は「八年丙子の夏六月、芳野の離宮に幸せる時に、山部宿祢赤人、詔に応へて作る歌」と題され、天平八年(736)六月、聖武天皇の吉野行幸に従った折の作である。
長歌は吉野の宮を「山高み雲ぞたなびく、川早み瀬の音ぞ清き」と山と川の対で讃え、山と川が尽きない限り宮もまた絶えることはないと結んでいた。この反歌は、長歌の山と川の讃美を「山川をよみ」の一語にまとめ、吉野の宮が神代から続く理由として示している。
作者の山部赤人は奈良時代前期の宮廷歌人で、聖武天皇の行幸に従って多くの讃歌や叙景歌を残した。後世、柿本人麻呂と並んで歌聖と称され、三十六歌仙の一人にも数えられる。
本歌の「山川をよみ」は、巻頭の第九百七首で笠金村が吉野を「山川を清みさやけみ」と讃えた句と響き合う。養老七年の吉野行幸に始まった巻六は、ここで天平八年の吉野行幸の讃歌に至り、吉野の山川を讃える歌が巻の中で呼応している。
初句「神代より」は、神々の時代からの意で、吉野の宮の歴史が神代にまでさかのぼることを示し、宮の由緒を大きくとらえている。
二句「吉野の宮に」は、吉野の離宮を指す。長歌で讃えられた宮を受けている。
三句「あり通ひ」は、通い続けての意である。「あり」は動詞について継続を表し、代々の天皇が絶えず行幸を重ねてきたことをいう。
四句「高知らせるは」は、宮殿を高々とお造りになっているのはの意である。「高知る」は宮殿を高く立派に営むことで、「せる」は尊敬の「す」に存続の「り」がついた形である。
結句「山川をよみ」は、山と川がよいのでの意である。「を」と形容詞の語幹に「み」がついて理由を表す語法で、四句の「高知らせるは」の理由をここで示す倒置の構成となっている。長歌の山と川の讃美をこの一句に集めて一首を結ぶ。
かみよ:神々が治めていたとされる遠い昔の時代
ありがよふ:通い続ける
たかしる:宮殿を高く立派に営む
- 作者
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山部赤人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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思ほえず来ましし君を佐保川の かはづ聞かせず帰しつるかも
- 次の歌
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言問はぬ木すら妹と兄とありといふを ただ独り子にあるが苦しさ