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我が宿の梅咲きたりと告げ遣らば
来と言ふに似たり散りぬともよし

歌の意味
私の家の梅が咲いたと知らせてやったら、来いと言っているのと同じようだ。それならば梅は散ってしまってもかまわない。
鑑賞
巻第六 雑歌 1011

詞書「冬十二月十二日、歌儛所の諸王臣子等、葛井連広成の家に集ひて宴する歌二首。比来、古儛盛りに興り、古歳漸く晩れぬ。理、共に古情を尽くし、同じく古歌を唱ふべし。故、この趣に擬へて、輙ち古曲二節を献る。風流意気の士、儻しこの集ひの中にあらば、争ひて念を発し、心々に古体に和せよ」
 自分の家の庭の梅が咲いたと知らせれば、まるで来てくれと催促しているようなものだから、知らせずにおこう、梅は散ってしまってもかまわないと詠んだ歌である。梅の花を一緒に見たい気持ちと、相手に来訪を強いるようでためらう気持ちとの間の揺れを、さらりと表している。
 詞書によれば、天平八年(736)十二月十二日、宮廷の歌舞をつかさどる歌儛所の諸王や臣下たちが、葛井広成の家に集まって宴を開いた折の歌である。序には、近ごろ古い舞が盛んになり、年も暮れようとしているので、皆で古い心を尽くし古い歌を唱えようと、「古曲二節」を献じ、風流の人々にも古体の歌で唱和するよう呼びかけたことが記されている。
 作者は明記されておらず、宴の主人である葛井広成とも、集った人々が古歌として唱えたものともいわれ、定まらない。葛井広成は奈良時代の官人で、文人としても知られた。

 本歌と次歌の第千十二首は、序にいう「古曲二節」にあたる二首である。本歌が梅の咲いたことを知らせるのも遠慮して、散ってもよいと控えめに言うのに対し、次歌は鶯の鳴く庭へ絶えず通ってこいと率直に招き、控える心と招く心とが対をなしている。梅と鶯という春の景物の取り合わせでも呼応している。
 初句「我が宿の」は、私の家のの意である。「宿」は家や庭を含む住まいをいう。
 二句「梅咲きたりと」は、梅が咲いたとの意である。「たり」は完了の助動詞で、花がいま咲いている状態を示している。
 三句「告げ遣らば」は、知らせてやったならばの意である。「遣る」は人を遣わして送り届けることで、「ば」は仮定を表す。
 四句「来と言ふに似たり」は、来いと言っているのに似ているの意である。字余りの句で、ここで意味が切れる。「来」は命令形で、知らせることがそのまま来訪の催促になってしまうことへのためらいを示している。
 結句「散りぬともよし」は、散ってしまってもかまわないの意である。「とも」は逆接の仮定で、梅を見せたい気持ちを抑え、相手を気づかう心で一首を結ぶ。

やど:家、家の庭
つげやる:人を遣わして知らせる
出典
万葉集
前の歌
奥山の真木の葉しのぎ降る雪の 降りは増すとも地に落ちめやも
次の歌
春さればををりにををり鴬の 鳴く我が山斎ぞやまず通はせ