玉敷きて待たましよりはたけそかに
来る今夜し楽しく思ほゆ
- 歌の意味
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玉を敷いて待っているよりも、思いがけずに来た今夜のほうが楽しく思われる。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 1015
詞書「榎井王の後に追ひて和ふる歌一首」
玉を敷いて待ち構えているよりも、思いがけずにやって来た今夜のほうがずっと楽しく思われる、という歌である。題詞に「後に追ひて和ふる」とあり、門部王の家の宴の贈答を後から知った榎井王が、主人の歌に和して添えたものである。
主人の門部王が「玉敷かましを」と、支度のできなかったことを残念がる形で歓迎したのに対し、本歌は、前もって準備して待つよりも不意の訪れの今夜こそが楽しいのだと応じ、主人の心配を打ち消して宴の喜びを肯定している。
作者の榎井王は、題詞の注に「志貴親王の子なり」とあり、天智天皇の孫にあたる。志貴親王の子には光仁天皇となった白壁王や湯原王がいる。
本歌は本巻の第千十三首の結句「玉敷かましを」を初句「玉敷きて」に取り込み、仮定のもてなしと思いがけない現実の楽しさという対比で追和している。
初句「玉敷きて」は、玉を敷いての意で、門部王の歌の「玉敷かましを」をそのまま受けている。
二句「待たましよりは」は、待っていたとしたらそれよりもの意である。「まし」は反実仮想の助動詞で、実際にはなかった準備を仮定し、「よりは」で比較の基準とする。
三句「たけそかに」は、思いがけずに、たまたまの意とされる語で、用例がきわめて少ない。前もっての準備に対して、不意の訪れを表している。
四句「来る今夜し」は、やって来た今夜こそはの意である。「し」は強意の副助詞で、他ならぬこの夜を取り立てている。
結句「楽しく思ほゆ」は、楽しく思われるの意で、「思ほゆ」は自然にそう感じられることを表す。前もっての支度よりも偶然の喜びを選び取る、明るい肯定で一首を結んでいる。
たけそか:思いがけないさま、偶然であるさま
こよひ:今夜
おもほゆ:自然に思われる、感じられる
- 作者
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榎井王
- 出典
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万葉集
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一昨日も昨日も今日も見つれども 明日さへ見まく欲しき君かも
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海原の遠き渡りを風流士の 遊ぶを見むとなづさひぞ来し