海原の遠き渡りを風流士の
遊ぶを見むとなづさひぞ来し
- 歌の意味
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海原の遠い渡りを越えて、風流な方々が遊ぶのを見ようと、波に漂いながらやって来たのだ。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 1016
詞書「春二月、諸大夫等、左少弁巨勢宿奈麻呂朝臣の家に集ひて宴する歌一首」
遠い海原を渡り、風流な人々の遊ぶさまを見ようと、波に揉まれながらはるばるやって来たのだ、という歌である。題詞によれば、天平九年(737)の春二月、官人たちが左少弁の巨勢宿奈麻呂の家に集まって宴を開いた折のものである。
左注によれば、この歌は白い紙に書かれて部屋の壁に懸けてあり、題に「蓬莱の仙媛の化れる嚢蘰、風流秀才の士の為なり。これ凡客の望み見ざるところか」と記されていた。海の彼方の蓬莱山に住む仙女が、宴に集う風流の士を訪ねて来たという趣向で、神仙思想をふまえた遊び心のある演出である。
作者は明らかでない。仙女に仮託して詠まれており、宴の座にいた誰かの戯れの作とみられるが、実際の作者を確定することはできない。
直前の門部王の家の宴の歌群が主人と客の挨拶を交わしたのに続き、本歌も宴の歌であるが、仙女の来訪という虚構によって客をもてなす趣向に転じている。
初句「海原の」は、広々とした海の意で、仙女の住む蓬莱の地が海の彼方にあることを示している。
二句「遠き渡りを」は、遠い海の渡りをの意である。「を」は経過する場所を示し、はるばる海を越えて来た道のりの長さを表している。
三句「風流士の」は、風流を解する男たちの意で、「みやびを」と読む。宴に集った官人たちを讃える呼び方である。
四句「遊ぶを見むと」は、遊ぶのを見ようとの意で、「遊ぶ」は詩歌管弦などの風雅な宴の楽しみを指す。来訪の目的を述べている。
結句「なづさひぞ来し」は、波に漂い苦労しながらやって来たの意である。係助詞「ぞ」を受けて、過去の助動詞「き」の連体形「し」で結ぶ係り結びとなっている。はるばるの来訪を強調して一首を結んでいる。
うなはら:広々とした海
わたり:海や川を渡る所
みやびを:風流を解する男、風雅な人
なづさふ:水に浮かび漂う、水に揉まれて難儀する
- 出典
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万葉集
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玉敷きて待たましよりはたけそかに 来る今夜し楽しく思ほゆ
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木綿畳手向けの山を今日越えて いづれの野辺に廬りせむ我れ