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奥まへて我れを思へる我が背子は
千年五百年ありこせぬかも

歌の意味
心の奥深く私を思ってくれているあなたこそ、千年も五百年も生きていてくれないものか。
鑑賞
巻第六 雑歌 1025

詞書は前の歌に続き「秋八月二十日、右大臣橘家にして宴する歌四首」
 心の奥深く私を思ってくれるあなたこそ、千年も五百年も生き長らえてほしい、と前歌の祝いに答えた主人の歌である。前歌で巨曽倍対馬が「我が思ふ君は千年にもがも」と主人の長寿を願ったのに対し、その言葉をそのまま相手に返し、客への親愛と感謝を表している。
 題詞によれば、秋八月二十日に右大臣橘諸兄の家で開かれた宴の歌四首である。題詞に年の記載はないが、配列から天平十年(738)の宴とみられる。諸兄はこの年の正月に右大臣となっており、その邸での宴に官人たちが集まった。
 左注に「右の一首は右大臣の和ふる歌」とあり、宴の主人である右大臣橘諸兄が和した歌である。
 作者の橘諸兄は美努王と県犬養三千代の子で、もとは葛城王といった。天平八年(736)に母の橘の姓を継いで臣籍に下り、天平十年(738)に右大臣、のちに左大臣となって、聖武天皇の朝廷で政権を担った。

 前歌の第千二十四首の「奥まへて」「千年」を受け、祝われた主人が同じ言葉で客の長寿を願い返している。長門守の敬慕に右大臣が親しみで応える、主客の贈答の対である。
 初句「奥まへて」は、心の奥深くの意で、前歌の三句をそのまま初句に据えて答歌であることを示している。
 二句「我れを思へる」は、私を思ってくれているの意で、「る」は存続の助動詞「り」の連体形である。前歌の「我が思ふ君」を、思われる側から言い直している。
 三句「我が背子は」は、親しい男性を呼ぶ語で、ここでは客の巨曽倍対馬を指す。前歌の「君」に対して「背子」と呼び、親しみを込めて応じている。
 四句「千年五百年」は、千年も五百年もの意で、前歌の「千年」にさらに年数を重ねて、長寿の願いを大きくしている。
 結句「ありこせぬかも」は、生きていてくれないものかの意である。「こせ」は相手に望む意の助動詞「こす」の未然形、「ぬかも」は打消に詠嘆の「かも」を添えて願望を表す言い方で、客への祝福で一首を結んでいる。

おくまふ:心の奥深く思う
せこ:親しい男性を呼ぶ語
いほとせ:五百年、長い年月
作者
橘諸兄
出典
万葉集
前の歌
長門なる沖つ借島奥まへて 我が思ふ君は千年にもがも
次の歌
ももしきの大宮人は今日もかも 暇をなみと里に出でずあらむ