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ももしきの大宮人は今日もかも
暇をなみと里に出でずあらむ

歌の意味
大宮人は、今日もまた暇がないといって、里には出て来ないのだろうか。
鑑賞
巻第六 雑歌 1026

詞書は前の歌に続き「秋八月二十日、右大臣橘家にして宴する歌四首」
 宮仕えの大宮人は、今日もまた暇がないからといって、里には出て来ないのだろうか、と宮中の男の訪れを里で待つ女の心を詠んだ歌である。来ない相手を責めるのではなく、忙しさを思いやる形をとりながら、待ちわびる気持ちをにじませている。
 題詞によれば、秋八月二十日に右大臣橘諸兄の家で開かれた宴の歌四首である。題詞に年の記載はないが、配列から天平十年(738)の宴とみられる。諸兄はこの年の正月に右大臣となっており、その邸での宴に官人たちが集まった。
 左注に「右の一首は右大臣伝へて云ふ、故豊島采女の歌なり」とあり、宴の主人である右大臣橘諸兄が、亡き豊島采女の歌として伝え、この席で披露したものである。宴の場で、昔の采女の歌を思い出して吟じたことが分かる。
 作者の豊島采女は、豊島の地から宮中に出仕した采女とみられるが、伝は未詳である。左注に「故」とあることから、この宴の時にはすでに亡くなっていた。

 本歌と次歌の第千二十七首は、ともに豊島采女の歌として宴で吟じられたもので、本歌が待つ女の立場から宮人を思うのに対し、次歌は人に知られず物思う心を詠み、恋の歌が二首並ぶ形になっている。
 初句「ももしきの」は、「大宮」にかかる枕詞で、多くの石で築いた宮の意とされる。宮中を讃える言い方である。
 二句「大宮人は」は、宮中に仕える人々の意で、ここでは待たれている相手の男を指している。
 三句「今日もかも」は、今日もまたの意で、「かも」は疑問の係助詞である。結句の「あらむ」と呼応する係り結びとなる。「今日も」と言うことで、これまでも訪れのない日が続いていたことを示している。
 四句「暇をなみと」は、暇がないのでといっての意である。「なみ」は形容詞「なし」に接尾語「み」が付いて理由を表し、「と」で相手の言い分を引いている。
 結句「里に出でずあらむ」は、里には出て来ないのだろうかの意である。「む」は推量の助動詞の連体形で、三句の係助詞「かも」を受けて結ぶ。宮中と里という隔たりの中で、待つ身の寂しさを推量の形で表している。

ももしき:大宮にかかる枕詞
おほみやひと:宮中に仕える人
いとま:暇、ひま
さと:人の住む里、宮中に対して民間の地
作者
豊島采女
出典
万葉集
前の歌
奥まへて我れを思へる我が背子は 千年五百年ありこせぬかも
次の歌
橘の本に道踏む八衢に 物をぞ思ふ人に知らえず