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後れにし人を思はく思泥の崎
木綿取り垂でて幸くとぞ思ふ

歌の意味
後に残してきた人を思うことには、思泥の崎で木綿を取り垂らして、無事であれと祈るのだ。
鑑賞
巻第六 雑歌 1031

詞書は前の歌に続き「丹比屋主真人が歌一首」
 後に残してきた人を思って、思泥の崎で木綿を取り垂らし、無事であるようにと祈る、という歌である。天平十二年(740)冬十月、大宰少弐藤原広嗣の反乱をきっかけに聖武天皇が伊勢国へ行幸した、いわゆる関東行幸の途上の歌である。旅先の岬で神に手向けをしながら、都に残した家の人の無事を願う心を詠んでいる。
 左注には「右、この歌を案ふるに、この行の作にはあらざるか。然か言ふ所以は、大夫に勅して河口の行宮より京に還らしめ、従駕せしむることなかれとのたまへり。何ぞ思泥の埼を詠める作歌あらむや」とある。丹比屋主は河口の行宮から都へ帰るよう命じられ、その先の行幸には従っていないのだから、思泥の崎を詠む歌があるはずがない、という編者の疑問である。本歌がこの行幸の時の作かどうかは確かでない。
 作者の丹比屋主は奈良時代の官人で、丹比氏は宣化天皇の後裔とされる氏族である。左注からは、この行幸で河口の行宮まで従い、そこから都へ帰されたことが分かる。

 初句「後れにし」は、後に残されたの意で、「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形、「し」は過去の助動詞「き」の連体形である。旅に出た自分に対し、家に留まった人を指している。
 二句「人を思はく」は、人を思うことにはの意で、「思はく」は「思ふ」のク語法である。何を思うかの内容を結句で述べる形になっている。
 三句「思泥の崎」は、伊勢国の岬の名とされる。四句の「垂でて」と同音を重ね、地名から神への手向けの動作へと言葉をつないでいる。
 四句「木綿取り垂でて」は、木綿を手に取って垂らしての意で、神に祈る時の作法である。三句の「思泥」と「垂で」の音の響き合いが、調べを整えている。
 結句「幸くとぞ思ふ」は、無事であれと願うことだの意である。係助詞「ぞ」を受けて「思ふ」が連体形で結ぶ係り結びとなり、二句の「思はく」と呼応して、家の人の無事を祈る心を強く表している。

しでのさき:伊勢国の岬の名とされる
ゆふ:楮の皮の繊維で作った白い布、神事に用いる
とりしづ:手に取って垂らす
作者
丹比屋主
出典
万葉集
前の歌
妹に恋ひ吾の松原見わたせば 潮干の潟に鶴鳴き渡る
次の歌
大君の行幸のまにま我妹子が 手枕まかず月ぞ経にける