大君の行幸のまにま我妹子が
手枕まかず月ぞ経にける
- 歌の意味
-
大君の行幸に従っているうちに、妻の手枕をすることもなく、月が改まってしまった。
- 鑑賞
-
巻第六 雑歌 1032
詞書は前の歌に続き「狭残の行宮にして大伴宿祢家持が作る歌二首」
大君の行幸に従って旅を続けるうちに、妻の手枕で寝ることもなく月が改まってしまった、と長い旅の日数を嘆く歌である。十月に都を発った行幸が月を越えて続き、家を離れた日々の長さを実感した思いが表れている。
天平十二年(740)冬十月、大宰少弐藤原広嗣の反乱をきっかけに聖武天皇が伊勢国へ行幸した、いわゆる関東行幸の途上の歌である。題詞によれば、狭残の行宮で大伴家持が作った二首で、狭残の行宮の所在ははっきりしない。
作者の大伴家持は大伴旅人の子で、この時は天皇の側近に仕える内舎人であった。のちに越中守などを歴任し、中納言に至った。万葉集の編纂に深く関わったとされる歌人である。
本歌の「我妹子が手枕まかず」は、本巻の第千二十九首の「妹が手本し思ほゆるかも」、第千三十六首の「妹が手枕まきて寝ましを」と同じく妻の手枕を詠み、行幸の途上の家持の歌に一貫して流れる望郷の心を示している。
初句「大君の」は、天皇をいう語で、自らの旅が天皇に従う公の務めであることを示している。
二句「行幸のまにま」は、行幸のままに、行幸に従っての意で、自分の意志では帰れない旅であることを表している。
三句「我妹子が」は、わが妻がの意で、「我妹子」は妻や恋人を親しんで呼ぶ語である。
四句「手枕まかず」は、手枕をしないでの意で、「まく」は枕にする、共寝をするの意である。妻と離れて過ごす夜の重なりを表している。
結句「月ぞ経にける」は、月が過ぎてしまったことだの意である。係助詞「ぞ」を受けて、過去の助動詞「けり」の連体形「ける」で結ぶ係り結びとなり、時の経過への驚きと嘆きを強めている。
みゆき:天皇の外出、行幸
わぎもこ:わが妻、いとしい人
たまくら:腕を枕にすること、手枕
まく:枕にする、共寝する
- 作者
-
大伴家持
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
後れにし人を思はく思泥の崎 木綿取り垂でて幸くとぞ思ふ
- 次の歌
-
御食つ国志摩の海人ならしま熊野の 小舟に乗りて沖へ漕ぐ見ゆ