御食つ国志摩の海人ならしま熊野の
小舟に乗りて沖へ漕ぐ見ゆ
- 歌の意味
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御食つ国である志摩の海人であるらしい。熊野の小舟に乗って沖へ漕いで行くのが見える。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 1033
詞書は前の歌に続き「狭残の行宮にして大伴宿祢家持が作る歌二首」
熊野造りの小舟に乗って沖へ漕ぎ出していくのが見えるのは、御食つ国である志摩の海人であるらしい、と海辺の景を詠んだ歌である。前歌で妻を恋う心を述べたのに対し、本歌は目の前の海の営みに目を向け、旅先の新鮮な眺めを描いている。
天平十二年(740)冬十月、大宰少弐藤原広嗣の反乱をきっかけに聖武天皇が伊勢国へ行幸した、いわゆる関東行幸の途上の歌である。題詞によれば、狭残の行宮で大伴家持が作った二首で、狭残の行宮の所在ははっきりしない。
作者の大伴家持は大伴旅人の子で、この時は天皇の側近に仕える内舎人であった。のちに越中守などを歴任し、中納言に至った。万葉集の編纂に深く関わったとされる歌人である。
前歌の第千三十二首が家に残した妻への思いを詠むのに対し、本歌は眼前の海人の姿を詠んで、同じ行宮での二首が内なる思いと外の景という対をなしている。
初句「御食つ国」は、天皇の食膳に奉る海産物などを献上する国の意で、志摩国を讃えていう語である。
二句「志摩の海人ならし」は、志摩の海人であるらしいの意で、「ならし」は「なるらし」がつまった形で、根拠に基づく推定を表す。ここで意味が切れる二句切れの歌である。
三句「ま熊野の」は、「ま」が美称の接頭語で、熊野の地をいう。熊野は良い船材を産し、船を造る地として知られていた。
四句「小舟に乗りて」は、熊野造りの小さな舟に乗っての意で、海人の漁の様子を具体的に描いている。
結句「沖へ漕ぐ見ゆ」は、沖へ漕いで行くのが見えるの意で、動詞の終止形に「見ゆ」が付く形である。二句の推定の根拠となる眼前の光景を示し、澄んだ海の景で一首を結んでいる。
みけつくに:天皇の食膳に供える物を献上する国
あま:海で漁をする人、海人
をぶね:小さな舟
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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大君の行幸のまにま我妹子が 手枕まかず月ぞ経にける
- 次の歌
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いにしへゆ人の言ひ来る老人の 変若つといふ水ぞ名に負ふ滝の瀬