田跡川の滝を清みかいにしへゆ
宮仕へけむ多芸の野の上に
- 歌の意味
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田跡川の滝が清らかなので、昔から宮仕えをしたのだろうか、この多芸の野のほとりに。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 1035
詞書は前の歌に続き「大伴宿祢家持が作る歌一首」
田跡川の滝が清らかだからこそ、昔からこの多芸の野に宮を営み、宮仕えをしてきたのだろうか、と多芸の地の由緒をたたえる歌である。天平十二年(740)冬十月、大宰少弐藤原広嗣の反乱をきっかけに聖武天皇が伊勢国へ行幸した、いわゆる関東行幸の途上の歌である。前歌と同じく美濃国の多芸の行宮での作とみられる。
多芸の行宮は美濃国多芸郡、現在の岐阜県養老郡養老町のあたりに置かれた。この地の美泉は、霊亀三年(717)に元正天皇が行幸して若返りの効験をたたえ、年号を養老と改めたことで知られ、後世の養老の滝の伝説の由来となった。本歌は、かつての元正天皇の行幸を思い起こしつつ、清らかな滝のゆえにこの地が代々宮の置かれる所となったとたたえている。
作者の大伴家持は大伴旅人の子で、この時は天皇の側近に仕える内舎人であった。のちに越中守などを歴任し、中納言に至った。万葉集の編纂に深く関わったとされる歌人である。
前歌の第千三十四首と「いにしへゆ」の語を共有し、前歌が若返りの水の伝承を、本歌が宮の置かれてきた由緒を詠んで、多芸の地を二つの面からたたえている。また、滝の清らかさを宮の地の根拠とする発想は、巻頭の吉野讃歌の「清き河内」の型に通じている。
初句「田跡川の」は、多芸の地を流れる川の名である。
二句「滝を清みか」は、滝が清らかなのでの意である。「清み」は形容詞「清し」に接尾語「み」が付いて理由を表し、「か」は疑問の係助詞で、四句の「けむ」と呼応する係り結びとなる。
三句「いにしへゆ」は、昔からの意で、前歌の初句と同じ語を用い、この地の由緒の古さを示している。
四句「宮仕へけむ」は、宮仕えをしたのだろうかの意で、「けむ」は過去推量の助動詞の連体形である。二句の係助詞「か」を受けて結んでいる。
結句「多芸の野の上に」は、多芸の野のほとりにの意で、本来は宮仕えの場所として四句の前にくるべき語を後に置く倒置となっている。土地の名で結ぶことで、多芸の地そのものをたたえている。
たき:激しく流れる川の瀬、急流
みやつかへ:宮に仕えること
のへ:野のあたり、野のほとり
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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いにしへゆ人の言ひ来る老人の 変若つといふ水ぞ名に負ふ滝の瀬
- 次の歌
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関なくは帰りにだにもうち行きて 妹が手枕まきて寝ましを