今造る久迩の都は山川の
さやけき見ればうべ知らすらし
- 歌の意味
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今造営している久迩の都は、山や川の清らかなさまを見ると、なるほどここを天皇がお治めになるのももっともだと思われる。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 1037
詞書「十五年癸未の秋八月十六日、内舎人大伴宿祢家持、久迩の京を讃めて作る歌一首」
今造営中の久迩の都は、山や川の清らかなさまを見ると、天皇がここで天下をお治めになるのももっともなことだ、と新しい都をたたえる歌である。題詞によれば、天平十五年(743)秋八月十六日、内舎人であった大伴家持が久迩京をたたえて作った歌である。
久迩京は、天平十二年(740)の関東行幸の後、聖武天皇が山背国相楽郡に営んだ都で、現在の京都府木津川市加茂町のあたりにあたる。本歌が詠まれた時もなお造営が続いていた。山川の清らかさを理由に都の地をたたえる言い方は、吉野讃歌などに見られる宮廷讃歌の型に沿ったものである。
作者の大伴家持は大伴旅人の子で、この時は天皇の側近に仕える内舎人であった。のちに越中守などを歴任し、中納言に至った。万葉集の編纂に深く関わったとされる歌人である。
山川の清らかさを都の地のよさの根拠とする発想は、巻頭の第九百七首や第九百八首の吉野讃歌の「清き河内」と通じ、本巻の第千三十五首が滝の清らかさを宮の由緒としたのとも響き合っている。
初句「今造る」は、今造営しているの意で、久迩京がまだ建設の途上にあったことを示している。
二句「久迩の都は」は、久迩の都はの意で、山背国に営まれた新しい都の名を掲げている。
三句「山川の」は、山と川のの意で、都を囲む自然の景を示し、四句の「さやけき」へと続く。
四句「さやけき見れば」は、清らかで明るいさまを見るとの意で、「さやけし」の連体形を体言のように用い、「見れば」で確定条件を表している。
結句「うべ知らすらし」は、なるほどお治めになるらしいの意である。「うべ」はもっともだと納得する意を表し、「知らす」は「知る」の尊敬語で統治なさるの意、「らし」は根拠のある推定の助動詞である。四句の景を根拠として、都の地をたたえて結んでいる。
みやこ:天皇の宮のある所、都
しらす:お治めになる、統治なさる
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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関なくは帰りにだにもうち行きて 妹が手枕まきて寝ましを
- 次の歌
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故郷は遠くもあらず一重山 越ゆるがからに思ひぞ我がせし