我が背子とふたりし居らば山高み
里には月は照らずともよし
- 歌の意味
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あなたと二人でいるならば、山が高いので里には月が照らなくてもかまわない。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 1039
詞書は前の歌に続き「高丘河内連が歌二首」
親しい友と二人でいられるならば、山が高くて里に月の光が届かなくてもかまわない、と語り合う相手のいる喜びを詠んだ歌である。月を眺めることよりも、心の通う人と共にいることを大切に思う気持ちを表している。
題詞に「高丘河内連が歌二首」とあり、久迩京の時代の歌の間に置かれていることから、この頃の作とみられる。山に囲まれた久迩京の地で、月の出の遅い里の夜を友と過ごす場面が思い浮かぶ。
作者の高丘河内は百済系の渡来人の家系の出身で、もとは楽浪河内といい、神亀元年(724)に高丘連の姓を賜った。右京亮、造宮輔、大学頭などを務め、学識のある官人として知られる。
前歌の第千三十八首が一重の山に隔てられた故郷を恋うのに対し、本歌は山に囲まれて月の照らない里にあっても、友と二人でいれば満ち足りると詠み、同じ山の隔たりを寂しさから満足へと反転させている。
初句「我が背子と」は、あなたとの意で、「背子」は親しい男性を呼ぶ語である。ここでは親しい友を指すとみられる。
二句「ふたりし居らば」は、二人でいるならばの意で、「し」は強意の副助詞、「ば」は未然形に付いて仮定条件を表す。
三句「山高み」は、山が高いのでの意で、形容詞「高し」の語幹に接尾語「み」が付いて理由を表している。
四句「里には月は」は、里には月はの意で、「は」を重ねて、里と月とをそれぞれ取り立てている。
結句「照らずともよし」は、照らなくてもかまわないの意で、「とも」は逆接の仮定を表す。月見の楽しみがなくても友がいれば十分だという思いを、きっぱりと言い切って結んでいる。
せこ:親しい男性を呼ぶ語
さと:人の住む里
- 作者
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高丘河内
- 出典
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万葉集
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故郷は遠くもあらず一重山 越ゆるがからに思ひぞ我がせし
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ひさかたの雨は降りしけ思ふ子が やどに今夜は明かして行かむ