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世間を常なきものと今ぞ知る
奈良の都のうつろふ見れば

歌の意味
世の中を無常なものと今こそ知る。奈良の都が衰え移り変わっていくのを見ると。
鑑賞
巻第六 雑歌 1045

詞書は前の歌に続き「寧楽の京の荒墟を傷み惜しみて作る歌三首[作者審らかならず]」
 奈良の都が衰えていくのを見て、世の中が無常であることを今こそ思い知った、と詠む歌である。栄えた都の変わりようを目の当たりにした驚きと悲しみを、世の無常という大きな思いに結びつけている。
 本歌を含む三首は、荒れていく奈良の都を嘆き惜しんで詠まれた一連である。天平十二年(740)の末、聖武天皇は伊勢などへの行幸ののち平城京に戻らず、山背国の久迩京に都を移した。人々が去った後の奈良の都の姿が、この三首の背景にある。
 三首はいずれも題詞に「作者審らかならず」と注されており、作者は未詳である。

 三首はいずれも四句に「奈良の都」を置き、前歌の第千四十四首は「奈良の都に」、本歌は「奈良の都の」、次歌の第千四十六首は「奈良の都を」と助詞を変えながら、同じ句を軸に荒れた都への思いを重ねている。
 初句「世間を」は、世の中をの意で、一首の主題となる世のありさまを示している。
 二句「常なきものと」は、変わらずにあることのないもの、無常なものとの意である。
 三句「今ぞ知る」は、今こそ知るの意である。係助詞「ぞ」の結びとして、動詞「知る」が連体形をとる係り結びである。ここで意味が切れる三句切れで、下の句とは倒置の関係にある。
 四句「奈良の都の」は、三首に共通する句で、「の」は結句の「うつろふ」の主語を示す。
 結句「うつろふ見れば」は、衰え移り変わっていくのを見るとの意で、三句の「知る」理由を後から示す倒置となっている。「うつろふ」は、後の田辺福麻呂の歌にも「大宮所移ろひ行かめ」(本巻の第千五十四首)、「大宮人のうつろひぬれば」(第千六十首)と繰り返され、都の移り変わりを表す語として巻の終わりの歌群を貫いている。

よのなか:この世、世間
うつろふ:移り変わる、衰える
出典
万葉集
前の歌
紅に深く染みにし心かも 奈良の都に年の経ぬべき
次の歌
岩綱のまた変若ちかへりあをによし 奈良の都をまたも見むかも