岩綱のまた変若ちかへりあをによし
奈良の都をまたも見むかも
- 歌の意味
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岩をはう蔦のように再び若返って、あをによし奈良の都を、また見ることがあるだろうか。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 1046
詞書は前の歌に続き「寧楽の京の荒墟を傷み惜しみて作る歌三首[作者審らかならず]」
岩をはう蔦が何度も伸びるように自分も若返って、栄えていた奈良の都をもう一度見ることがあるだろうか、と詠む歌である。三首の結びとして、衰えた都がかつての姿を取り戻すことへの願いと、それがかなわないかもしれないという嘆きを込めている。
本歌を含む三首は、荒れていく奈良の都を嘆き惜しんで詠まれた一連である。天平十二年(740)の末、聖武天皇は伊勢などへの行幸ののち平城京に戻らず、山背国の久迩京に都を移した。人々が去った後の奈良の都の姿が、この三首の背景にある。
三首はいずれも題詞に「作者審らかならず」と注されており、作者は未詳である。
三首はいずれも四句に「奈良の都」を置き、第千四十四首は「奈良の都に」、前歌の第千四十五首は「奈良の都の」、本歌は「奈良の都を」と助詞を変えながら、同じ句を軸に荒れた都への思いを重ねている。
初句「岩綱の」は、岩にはうつる草の意で、つるが繰り返し伸びるところから「をちかへる」にかかる枕詞である。
二句「また変若ちかへり」は、再び若返っての意である。「変若つ」は若返ることをいい、本巻の第千三十四首の「老人の変若つといふ水」とも同じ語を共有している。
三句「あをによし」は、「奈良」にかかる枕詞である。
四句「奈良の都を」は、三首に共通する句で、ここでは「見む」の対象として置かれ、前の二首の嘆きを受けて都を再び見ることへと思いを転じている。
結句「またも見むかも」は、また見ることがあるだろうかの意である。「む」は推量の助動詞、「かも」は疑問を含む詠嘆で、二句の「また」を重ねて、かつての都をもう一度見たいという切実な思いを表している。
いはつな:岩にはう蔦などのつる草
をちかへる:若返る、もとに戻る
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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世間を常なきものと今ぞ知る 奈良の都のうつろふ見れば
- 次の歌
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たち変り古き都となりぬれば 道の芝草長く生ひにけり