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泉川行く瀬の水の絶えばこそ
大宮所移ろひ行かめ

歌の意味
泉川の流れゆく瀬の水が絶えることがあれば、そのときこそ大宮所も移っていくだろう。
鑑賞
巻第六 雑歌 1054

詞書は前の歌に続き「反歌五首」
 泉川の流れる瀬の水が絶えるようなことがあってこそ、この大宮所も移っていくだろう、と詠み、川の水が絶えない以上、都も移ることはないと讃える歌である。直前の長歌(第千五十三首)は「久迩の新京を讃むる歌」二首の二首目で、布当の宮を、木々の茂る山、落ちたぎつ瀬の音の清さ、春の鴬、秋のさを鹿などの景とともに讃え、「百代にも変るましじき大宮所」と結んでいる。本歌はその反歌五首の一首目で、長歌の結びを、絶えることのない泉川の流れに託して言い換えている。
 泉川は現在の木津川のことで、久迩京はこの川をはさんで営まれた。
 本歌を含む第千四十七首から巻末の第千六十七首までの二十一首は、巻末の左注に「右の二十一首は、田辺福麻呂の歌集の中に出づ」とある。左注により田辺福麻呂歌集から採られた歌であり、福麻呂の作とみられる。
 作者の田辺福麻呂は奈良時代中期の歌人で、天平二十年(748)には造酒司の令史として左大臣橘諸兄の使者を務めている。宮廷の儀礼的な長歌の伝統を受け継いだ、万葉集の最後期を代表する歌人の一人とされる。

 川の流れが絶えない限り宮も変わらないとする趣向は、本巻の第千五首の山部赤人の吉野讃歌の「この川の絶えばのみこそももしきの大宮所やむ時もあらめ」と同じであり、吉野の離宮に向けられた讃美の型を久迩の新京に用いている。一方、本歌の「移ろひ行かめ」は、のちの第千六十首で「大宮人のうつろひぬれば」と現実のものとなり、讃美が反転する構図をなしている。
 初句「泉川」は、久迩京を流れる川の名で、都の象徴として歌い起こしている。
 二句「行く瀬の水の」は、流れてゆく瀬の水のの意で、絶えず流れる川のさまを示している。
 三句「絶えばこそ」は、もし絶えたならばそのときこそという意である。未然形に「ば」が付いた仮定の条件に係助詞「こそ」が付き、決して起こりえないことを条件として示している。ここで意味が切れる三句切れの歌である。
 四句「大宮所」は、都の地の意で、前の反歌二首(第千五十一首、第千五十二首)から引き続き置かれる語である。
 結句「移ろひ行かめ」は、移っていくだろうの意である。推量の助動詞「む」が已然形「め」となり、三句の係助詞「こそ」の結びとなる係り結びである。「うつろふ」は、奈良の荒墟を嘆く第千四十五首の結句「うつろふ見れば」とも同じ語である。

せ:川の浅く流れの速い所
おほみやところ:天皇の宮殿のある所、都の地
うつろふ:移り変わる、他の所へ移る
作者
田辺福麻呂
出典
万葉集
前の歌
山高く川の瀬清し百代まで 神しみゆかむ大宮所
次の歌
布当山山なみ見れば百代にも 変るましじき大宮所