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布当山山なみ見れば百代にも
変るましじき大宮所

歌の意味
布当山の連なる山々を見ると、百代の後までも変わることはないであろう、この大宮所は。
鑑賞
巻第六 雑歌 1055

詞書は前の歌に続き「反歌五首」
 布当山の山並みを見ると、この大宮所は百代の後までも変わることはないだろう、と都の永遠を讃える歌である。直前の長歌(第千五十三首)は「久迩の新京を讃むる歌」二首の二首目で、布当の宮を、木々の茂る山、落ちたぎつ瀬の音の清さ、春の鴬、秋のさを鹿などの景とともに讃え、「百代にも変るましじき大宮所」と結んでいる。本歌はその反歌五首の二首目で、長歌の結びの句をそのまま下の句に用いて、長歌の讃美を反歌で繰り返している。
 久迩京は、天平十二年(740)の末に聖武天皇が都と定めた山背国の都で、宮の跡は現在の京都府木津川市加茂町にある。三香の原はその一帯の野、布当はその宮のあたりの地名である。
 本歌を含む第千四十七首から巻末の第千六十七首までの二十一首は、巻末の左注に「右の二十一首は、田辺福麻呂の歌集の中に出づ」とある。左注により田辺福麻呂歌集から採られた歌であり、福麻呂の作とみられる。
 作者の田辺福麻呂は奈良時代中期の歌人で、天平二十年(748)には造酒司の令史として左大臣橘諸兄の使者を務めている。宮廷の儀礼的な長歌の伝統を受け継いだ、万葉集の最後期を代表する歌人の一人とされる。

 本歌の三句から結句までの「百代にも変るましじき大宮所」は、長歌の結びと同じ句である。また、第千五十二首の「百代まで神しみゆかむ大宮所」と同じ「百代」の尺度と同じ「大宮所」の結句を共有している。のちの第千六十一首の「大宮人ぞたち変りける」は、この「変るましじき」を反転させた表現となっている。
 初句「布当山」は、布当の宮の背後にある山の名である。
 二句「山なみ見れば」は、連なる山々を見るとの意で、山並みの揺るぎない姿を都の永続の根拠としている。
 三句「百代にも」は、百代の後までもの意で、長歌の結びと同じ句である。
 四句「変るましじき」は、決して変わることはないだろうの意である。「ましじ」は打消の推量を表す助動詞で、ここでは連体形として結句にかかる。
 結句「大宮所」は、都の地の意で、体言止めによって讃える対象を示している。前の反歌三首から続けて置かれた語である。

やまなみ:連なり並ぶ山々
ももよ:百代、非常に長い年月
おほみやところ:天皇の宮殿のある所、都の地
作者
田辺福麻呂
出典
万葉集
前の歌
泉川行く瀬の水の絶えばこそ 大宮所移ろひ行かめ
次の歌
娘子らが続麻懸くといふ鹿背の山 時しゆければ都となりぬ