三香の原久迩の都は荒れにけり
大宮人のうつろひぬれば
- 歌の意味
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三香の原の久迩の都は荒れてしまった。大宮人たちがよそへ移ってしまったので。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 1060
詞書は前の歌に続き「反歌二首」
三香の原の久迩の都は荒れてしまった、大宮人たちが移っていってしまったので、と詠む歌である。直前の長歌(第千五十九首)は「春の日に三香の原の荒墟を悲しび傷みて作る歌」と題され、山が高く川の瀬が清く住みよいと言われた久迩の都が、古い里となって人も通わず家も荒れてしまったことを、「住みよき里の荒るらく惜しも」と嘆いている。この反歌は、都の荒廃とその理由を、倒置によって端的に言い表している。
久迩京は、天平十六年(744)に難波宮が皇都とされ、翌天平十七年(745)に都が平城京に戻されると、人の去った都として荒れていった。
本歌を含む第千四十七首から巻末の第千六十七首までの二十一首は、巻末の左注に「右の二十一首は、田辺福麻呂の歌集の中に出づ」とある。左注により田辺福麻呂歌集から採られた歌であり、福麻呂の作とみられる。
作者の田辺福麻呂は奈良時代中期の歌人で、天平二十年(748)には造酒司の令史として左大臣橘諸兄の使者を務めている。宮廷の儀礼的な長歌の伝統を受け継いだ、万葉集の最後期を代表する歌人の一人とされる。
本歌は、久迩の新京を讃えた反歌の第千五十一首と同じ「三香の原」で歌い起こしながら、讃美を荒廃へと反転させている。第千五十二首の「百代まで神しみゆかむ」、第千五十四首の「絶えばこそ大宮所移ろひ行かめ」と讃えられた都が、ここでは実際に移ろってしまったのである。また、奈良の荒墟を嘆く第千四十八首、第千四十九首とも対応し、奈良の都と久迩の都がともに荒れる構図となっている。
初句「三香の原」は、久迩京の置かれた一帯の野の名で、新京讃美の反歌と同じ句で歌い起こしている。
二句「久迩の都は」は、久迩の都はの意で、「は」によって嘆きの対象を取り立てている。
三句「荒れにけり」は、荒れてしまったことだの意である。「に」は完了の助動詞「ぬ」、「けり」は詠嘆を表し、ここで意味が切れる三句切れの歌である。
四句「大宮人の」は、宮廷に仕える人々のの意で、都を去った人々を指している。
結句「うつろひぬれば」は、移っていってしまったのでの意で、三句の荒廃の理由を後から示す倒置となっている。第千四十五首の「うつろふ見れば」、第千五十四首の「移ろひ行かめ」と同じ「うつろふ」の語を受け、都の移り変わりを嘆く一連の言葉を結んでいる。
おほみやびと:宮廷に仕える人々
うつろふ:移り変わる、他の所へ移る
- 作者
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田辺福麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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狛山に鳴く霍公鳥泉川 渡りを遠みここに通はず
- 次の歌
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咲く花の色は変らずももしきの 大宮人ぞたち変りける