浜清み浦うるはしみ神代より
千舟の泊つる大和太の浜
- 歌の意味
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浜が清らかで、浦が美しいので、神代の昔から多くの舟が泊まってきた、大和太の浜よ。
- 鑑賞
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巻第六 雑歌 1067
詞書は前の歌に続き「反歌二首」
浜が清らかで浦が美しいので、神代の昔から多くの舟が泊まってきた大和太の浜よ、と讃える歌である。直前の長歌(第千六十五首)は「敏馬の浦を過ぐる時に作る歌」と題され、八千桙の神の御代から多くの舟が泊まる港と定められてきた敏馬の浦を、朝風に騒ぐ浦波、夕波に寄る玉藻、白砂の清い浜辺の景とともに讃え、「百代経て偲はえゆかむ清き白浜」と結んでいる。本歌はその反歌二首の二首目で、長歌の「神の御代より」「百舟の泊つる泊り」を受け、港の由緒と美しさを讃えている。
大和太の浜は、のちの大輪田の泊にあたる、現在の兵庫県神戸市兵庫区あたりの浜とされる。本歌は巻第六の巻末の歌である。
本歌を含む第千四十七首から巻末の第千六十七首までの二十一首は、巻末の左注に「右の二十一首は、田辺福麻呂の歌集の中に出づ」とある。左注により田辺福麻呂歌集から採られた歌であり、福麻呂の作とみられる。
作者の田辺福麻呂は奈良時代中期の歌人で、天平二十年(748)には造酒司の令史として左大臣橘諸兄の使者を務めている。宮廷の儀礼的な長歌の伝統を受け継いだ、万葉集の最後期を代表する歌人の一人とされる。
巻末の本歌は、巻頭の笠金村の吉野讃歌(本巻の第九百七首)が「山川を清みさやけみうべし神代ゆ定めけらしも」と土地の清らかさと神代以来の由緒によって吉野の宮を讃えたのと、「清み」「神代より」の語で呼応している。巻第六は吉野の山と川の讃美に始まり、海辺の浜の讃美で閉じる構成となっている。また三句「神代より」は第千六首の山部赤人の吉野讃歌の初句とも共通し、前歌の第千六十六首の「百舟」に対して本歌は「千舟」と数を重ねている。
初句「浜清み」は、浜が清らかなのでの意で、「清み」は「清し」のミ語法で理由を表している。
二句「浦うるはしみ」は、浦が美しいのでの意で、初句と同じミ語法を重ねた対句となっている。
三句「神代より」は、神代の昔からの意で、長歌の「八千桙の神の御代より」を受け、港の由緒の古さを示している。
四句「千舟の泊つる」は、多くの舟が泊まるの意である。前歌の「百舟」をさらに「千舟」と大きくし、港の賑わいを強めている。
結句「大和太の浜」は、体言止めで浜の名を示して一首を結び、巻第六の最後を地名への讃美で締めくくっている。
うら:入り江、湾
ちふね:たくさんの舟
はつ:舟が港に泊まる
- 作者
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田辺福麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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まそ鏡敏馬の浦は百舟の 過ぎて行くべき浜ならなくに
- 次の歌
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天の海に雲の波立ち月の舟 星の林に漕ぎ隠る見ゆ