難波辺に人の行ければ後れ居て
春菜摘む子を見るが悲しさ
- 歌の意味
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難波のあたりに夫が行ってしまったので、あとに残されて春菜を摘んでいるあの娘を見るのが、いたいたしくいとおしい。
- 鑑賞
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巻第八 春雑歌 1442
詞書「大蔵少輔丹比屋主真人の歌一首」
夫が難波へ出かけてしまい、一人残されて春菜を摘む若い妻の姿を見て、いとおしさと哀れを感じた歌である。春の野遊びの明るい情景の中に、別れの寂しさを見いだしている。
作者の丹比屋主は、丹比氏の官人で、大蔵少輔を務めた。次歌の作者丹比乙麻呂の父にあたる。
初句「難波辺に」は、難波のあたりに、の意である。難波は都から出向く港の地であった。
二句「人の行ければ」の「人」は、ここでは娘の夫を指す。
三句「後れ居て」は、あとに残されての意で、夫を見送った娘の身の上を示す。
四句「春菜摘む子を」は、若菜を摘む娘の姿である。本巻の第千四百二十一首では春菜を摘む娘を見る喜びが詠まれており、同じ情景を喜びと哀れの両面からとらえた対照をなしている。
結句「見るが悲しさ」は体言止めで、「悲し」はここでは、いとおしく心が痛む意である。
おくる:後に残される
なにはへ:難波のあたり
- 作者
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丹比屋主
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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うち霧らひ雪は降りつつしかすがに 我家の苑に鴬鳴くも
- 次の歌
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霞立つ野の上の方に行きしかば 鴬鳴きつ春になるらし