神奈備の石瀬の社の霍公鳥
毛無の岡にいつか来鳴かむ
- 歌の意味
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神奈備の石瀬の杜のほととぎすよ、この毛無の岡には、いつになったら来て鳴くのだろうか。
- 鑑賞
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巻第八 夏雑歌 1466
詞書「志貴皇子の御歌一首」
石瀬の杜で鳴いているほととぎすが、自分のいる毛無の岡へはいつ来て鳴くのだろうかと、その訪れを待ちわびる歌である。遠くから聞こえる声を、身近に聞きたいと願う心が表されている。
作者の志貴皇子は天智天皇の皇子で、光仁天皇の父にあたる。没後、春日宮天皇と追尊された。
初句「神奈備の」は、神の宿る森や山を指す語である。
二句「石瀬の社の」は、奈良県斑鳩町のあたりとされる森である。初句と二句は本巻の第千四百十九首と同じで、そちらでは呼子鳥に鳴かないでくれと願い、この歌ではほととぎすに来て鳴いてくれと願っており、鳴くことを拒む心と求める心とが対照をなしている。
三句「霍公鳥」は呼びかけで、ここで句切れとなる。
四句「毛無の岡に」は、作者のいる岡で、木の生えていない岡の意とも地名ともされる。
結句「いつか来鳴かむ」は、係助詞「か」と推量の「む」の係り結びで、いつ来て鳴くのだろうかと待ちわびる。本巻の第千四百七十首も、同じ杜のほととぎすに今すぐ鳴いてほしいと願っている。
けなしのをか:木の生えていない岡とも、地名ともされる
- 作者
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志貴皇子
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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霍公鳥いたくな鳴きそ汝が声を 五月の玉にあへ貫くまでに
- 次の歌
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霍公鳥なかる国にも行きてしか その鳴く声を聞けば苦しも