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今もかも大城の山に霍公鳥
鳴き響むらむ我れなけれども

歌の意味
今ごろも、大城の山ではほととぎすが鳴き声を響かせているのだろうか。私はもうそこにいないけれども。
鑑賞
巻第八 夏雑歌 1474

詞書「大伴坂上郎女の筑紫の大城の山を思ふ歌一首」
 かつて過ごした筑紫の大城の山で、今もほととぎすが鳴き響いているだろうかと思いやる歌である。兄の大伴旅人とともに大宰府にあった作者が、都へ戻ったのちに筑紫をなつかしんで詠んだもので、自分がいなくなっても変わらず鳴く鳥に、過ぎた日々への思いを寄せている。
 作者の大伴坂上郎女は、大伴安麻呂の娘で、大伴旅人の異母妹にあたる。大伴家持の叔母であり、のちに姑ともなった。万葉集に多くの歌を残す女性歌人である。

 初句「今もかも」は、今もなおと推し量る心を表し、四句の「らむ」と呼応する。本巻の第千四百五十八首も同じ初句で、遠く離れた地の今を思いやっている。
 二句「大城の山に」は、大宰府の北にある大野城の山である。前の第千四百七十二首、第千四百七十三首で大宰府の人々がほととぎすを詠んだのを受け、同じ筑紫の山のほととぎすを都から思いやる形になっている。
 三句「霍公鳥」は、筑紫で聞いた鳥の声を思い起こさせる。
 四句「鳴き響むらむ」は、現在推量の「らむ」で、今ごろ鳴き響かせているだろうと思いやる。
 結句「我れなけれども」は、私はもういないけれどもの意で、変わらない自然と、去っていった自分との対比に、寂しさをにじませている。

おほき:大宰府の北にある大野城、またその山
作者
大伴坂上郎女
出典
万葉集
前の歌
橘の花散る里の霍公鳥 片恋しつつ鳴く日しぞ多き
次の歌
何しかもここだく恋ふる霍公鳥 鳴く声聞けば恋こそまされ