我が宿の花橘のいつしかも
玉に貫くべくその実なりなむ
- 歌の意味
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我が家の庭の橘の花は、いつになったら、玉として糸に貫けるほどに、その実をつけるのだろうか。
- 鑑賞
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巻第八 夏雑歌 1478
詞書「大伴家持の橘の歌一首」
庭に咲く橘の花を見ながら、早く実をつけて、玉として糸に貫けるようになってほしいと待ち望む歌である。花の美しさを楽しむとともに、その先の実りを待つ心が表されている。
作者の大伴家持は、大伴旅人の子で、奈良時代の官人である。中納言に至り、万葉集の編纂に深く関わったとされ、集中最も多くの歌を残す。
初句「我が宿の」は、自分の家の庭を示す。
二句「花橘の」は、花の咲いた橘である。橘は初夏に白い花をつけ、夏雑歌に繰り返し詠まれている。
三句「いつしかも」は、早くと待ち望む心を表す。
四句「玉に貫くべく」は、玉として糸に貫くことができるほどにの意である。玉に貫くことは本巻の第千四百六十五首や第千五百二首でも詠まれ、五月の節句の風習と結びついている。
結句「その実なりなむ」は、完了の「な」と推量の「む」で、実がなるのはいつだろうと待ちわびる心を表している。
はなたちばな:花の咲いた橘
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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卯の花もいまだ咲かねば霍公鳥 佐保の山辺に来鳴き響もす
- 次の歌
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隠りのみ居ればいぶせみ慰むと 出で立ち聞けば来鳴くひぐらし