- 歌の意味
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我が家の庭の橘の花を、ほととぎすは来て鳴きもせずに、むなしく地に散らせてしまおうというのか。
- 鑑賞
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巻第八 夏雑歌 1486
詞書「大伴家持の霍公鳥の晩く喧くを恨むる歌二首」
庭の橘の花が咲いているのに、ほととぎすが来て鳴かないまま、花をむなしく散らせてしまうつもりかと恨む歌である。花と鳥がそろってこその初夏の風情を待ちわびる心が、恨みの言葉となって表れている。
作者の大伴家持は、大伴旅人の子で、奈良時代の官人である。中納言に至り、万葉集の編纂に深く関わったとされ、集中最も多くの歌を残す。
初句「我が宿の」は、自分の家の庭を示す。
二句「花橘を」は、花の咲いた橘である。本巻の第千四百九十三首の大伴村上の歌も、同じ「我が宿の花橘を霍公鳥」で始まり、そちらはほととぎすが来て鳴いて花を散らしたと詠む。来ないで散らすか、来て散らすかという対照的な構図となっている。
三句「霍公鳥」は、訪れを待たれている鳥を示す。
四句「来鳴かず地に」は、来て鳴かないまま地にの意で、字余りの句である。
結句「散らしてむとか」は、完了の「て」と意志の「む」に「とか」を添え、散らしてしまおうというのかと、ほととぎすを責めている。
はなたちばな:花の咲いた橘
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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夏まけて咲きたるはねずひさかたの 雨うち降らば移ろひなむか
- 次の歌
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霍公鳥思はずありき木の暗の かくなるまでに何か来鳴かぬ