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我が宿の花橘は散り過ぎて
玉に貫くべく実になりにけり

歌の意味
我が家の庭の橘の花はすっかり散ってしまい、玉として糸に貫けるほどに実になったことだ。
鑑賞
巻第八 夏雑歌 1489

詞書「大伴家持の橘の花を惜しむ歌一首」
 庭の橘の花がすっかり散ってしまい、玉に貫けるほどの実になったと詠む歌である。題詞に「橘の花を惜しむ」とあるとおり、実りを見届けながらも、花の季節が過ぎ去ったことを惜しむ心が込められている。
 作者の大伴家持は、大伴旅人の子で、奈良時代の官人である。中納言に至り、万葉集の編纂に深く関わったとされ、集中最も多くの歌を残す。

 初句「我が宿の」は、自分の家の庭を示す。
 二句「花橘は」は、花の咲いていた橘である。
 三句「散り過ぎて」は、すっかり散ってしまっての意で、花の季節の終わりを示す。
 四句「玉に貫くべく」は、玉として糸に貫けるほどにの意である。本巻の第千四百六十五首が鳥の声を五月の玉に貫こうとしたように、玉に貫くことは夏の歌に繰り返し現れる。
 結句「実になりにけり」は、完了の「に」と詠嘆の「けり」で、実になったことへの感慨を表す。本巻の第千四百九十二首の遊行女婦の歌も「花橘はなりにけり」と、花が過ぎて実になった橘を詠んでいる。

はなたちばな:花の咲いた橘
作者
大伴家持
出典
万葉集
前の歌
いづくには鳴きもしにけむ霍公鳥 我家の里に今日のみぞ鳴く
次の歌
霍公鳥待てど来鳴かず菖蒲草 玉に貫く日をいまだ遠みか