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暇なみ五月をすらに我妹子が
花橘を見ずか過ぎなむ

歌の意味
暇がないので、この五月でさえ、あなたの家の橘の花を見ないまま過ぎてしまうのだろうか。
鑑賞
巻第八 夏相聞 1504

詞書「高安の歌一首」
 公務に追われて暇がなく、橘の花が盛りの五月でさえ、恋しい人の家の橘を見ないまま過ごしてしまうのだろうかと嘆く歌である。花を見ることに、恋人を訪ねることを重ねている。
 作者の高安王は、敏達天皇の後裔とされる皇族で、のちに大原真人の姓を賜り、大原高安と名乗った。

 初句「暇なみ」は、暇がないのでの意である。本巻の第千四百九十八首の坂上郎女の歌も同じ初句で始まり、そちらは暇を理由に来ない相手を待つ女性の立場であった。この歌はその逆に、暇がなくて訪ねられない男性の側の嘆きとなっている。
 二句「五月をすらに」の「すら」は、〜でさえの意で、橘の盛りである五月をも無為に過ごすことを嘆く。
 三句「我妹子が」は、恋しい女性を指す。
 四句「花橘を」は、恋人の家に咲く橘の花である。
 結句「見ずか過ぎなむ」は、疑問の「か」と完了の「な」、推量の「む」で、見ないまま過ぎてしまうのだろうかと嘆いている。

いとま:ひま、用事のない時
作者
高安王
出典
万葉集
前の歌
我妹子が家の垣内のさ百合花 ゆりと言へるはいなと言ふに似る
次の歌
霍公鳥鳴きしすなはち君が家に 行けと追ひしは至りけむかも