我が宿の一群萩を思ふ子に
見せずほとほと散らしつるかも
- 歌の意味
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我が家の庭のひとむらの萩を、思いを寄せるあの娘に見せないまま、あやうく散らしてしまうところだった。
- 鑑賞
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巻第八 秋雑歌 1565
詞書「大伴家持の和ふる歌一首」
前歌の日置長枝娘子の歌に答え、庭のひとむらの萩を、思いを寄せる娘に見せないまま、あやうく散らしてしまうところだったと詠む歌である。萩を相手に見せたかったという言い方で、相手を思っていた気持ちを伝えている。
作者の大伴家持は、大伴旅人の子で、奈良時代の官人である。中納言に至り、万葉集の編纂に深く関わったとされ、集中最も多くの歌を残す。
初句「我が宿の」は、自分の家の庭を示す。
二句「一群萩を」は、ひとむらに群がって咲く萩をの意である。
三句「思ふ子に」は、思いを寄せる娘にの意で、前歌の作者を指す。
四句「見せずほとほと」は、見せないまま、あやうくの意で、「ほとほと」は危うく〜しそうになるさまを表す。
結句「散らしつるかも」は、完了の「つ」と詠嘆の「かも」で、散らしてしまうところだったと嘆く。本巻の第千五百四十二首の大伴旅人の歌も、散りそうな萩を前に「見む人もがも」と見る人を求めており、萩を見せる相手を思う心が共通している。
ひとむら:ひとかたまり、一叢
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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秋づけば尾花が上に置く露の 消ぬべくも我は思ほゆるかも
- 次の歌
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久方の雨間も置かず雲隠り 鳴きぞ行くなる早稲田雁がね