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黄葉の過ぎまく惜しみ思ふどち
遊ぶ今夜は明けずもあらぬか

歌の意味
黄葉の散り過ぎていくのが惜しいので、気の合う仲間どうしで遊ぶ今夜は、明けずにいてくれないものか。
鑑賞
巻第八 秋雑歌 1591

詞書は前の歌に続き「橘朝臣奈良麻呂の集宴を結ぶ歌十一首」
 黄葉の散り過ぎていくのが惜しいので、気の合う仲間どうしで楽しむ今夜は、いつまでも明けないでほしいと願う歌である。十一首の宴の歌の最後に置かれ、宴の楽しさとその終わりを惜しむ心とで一連を結んでいる。左注に「右一首は、内舎人大伴宿禰家持」とあり、続けて「以前は、冬十月十七日、右大臣橘卿の旧宅に集ひて宴飲す」とある。
 作者の大伴家持は、大伴旅人の子で、奈良時代の官人である。中納言に至り、万葉集の編纂に深く関わったとされ、集中最も多くの歌を残す。

 初句「黄葉の」は、宴の歌々に詠まれてきた黄葉を示す。
 二句「過ぎまく惜しみ」は、散り過ぎていくのが惜しいのでの意である。前の第千五百八十六首の「散らまく惜しみ」と同じ形をとっている。
 三句「思ふどち」は、互いに心を寄せ合う仲間どうしの意である。本巻の第千五百五十八首の「思ふ人どち」と同じく、親しい者たちの集いを表している。
 四句「遊ぶ今夜は」は、宴を楽しむ今夜はの意である。
 結句「明けずもあらぬか」は、打消の「ぬ」に「か」を添えた願望の表現で、明けないでいてくれないものかと願っている。

おもふどち:気の合う仲間、親しい者どうし
もみちば:色づいた木の葉
作者
大伴家持
出典
万葉集
前の歌
十月時雨にあへる黄葉の 吹かば散りなむ風のまにまに
次の歌
しかとあらぬ五百代小田を刈り乱り 田廬に居れば都し思ほゆ