- 歌の意味
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高円の野辺の秋萩は、このごろの明け方の露を受けて、もう咲いたことだろうか。
- 鑑賞
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巻第八 秋雑歌 1605
詞書「大伴宿禰家持の歌一首」
高円の野辺の秋萩は、このごろの明け方の露を受けて、もう咲いたことだろうかと思いやる歌である。離れた地から奈良の高円の萩を思い、露が花を咲かせるという考えのもと、その開花を想像している。秋雑歌の最後に置かれている。
作者の大伴家持は、大伴旅人の子で、奈良時代の官人である。中納言に至り、万葉集の編纂に深く関わったとされ、集中最も多くの歌を残す。
初句「高円の」は、奈良市東部の高円山のあたりである。
二句「野辺の秋萩」は、高円の野辺に咲く秋萩である。ここで意味が切れ、一首の主題を示している。
三句「このころの」は、このごろのの意である。
四句「暁露に」は、夜明け前に置く露にの意である。
結句「咲きにけむかも」は、完了の「に」、過去推量の「けむ」、詠嘆の「かも」で、もう咲いたことだろうかと推し量る。本巻の第千四百三十一首の山部赤人の歌も「鳴きにけむかも」と、離れた地の鴬を思いやっており、春雑歌の鴬と秋雑歌の萩とが、遠くを思いやる同じ形の結句で呼応している。
あかときつゆ:夜明け前に置く露
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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秋されば春日の山の黄葉見る 奈良の都の荒るらく惜しも
- 次の歌
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君待つと我が恋ひをれば我が宿の 簾動かし秋の風吹く