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我が背子が使来むかと出立の
この松原を今日か過ぎなむ

歌の意味
夫からの使いが来るだろうかと門に出で立って待つという名の、出立のこの松原を、今日は過ぎて行ってしまうのだろうか。
鑑賞
巻第九 雑歌 1674

詞書は前の歌に続き「大宝元年辛丑冬十月、太上天皇、大行天皇、紀伊国に幸す時の歌十三首」
 「我が背子が使来むかと」を序として、夫の使いを待って門に出で立つ意から地名の「出立」を導き、その松原を今日は通り過ぎていくのかと名残を惜しむ歌である。地名に待つ女の姿を重ね、旅の感慨を深めている。
 大宝元年(701)の紀伊行幸の歌十三首の八首目である。出立の松原は、現在の和歌山県田辺市の海岸とする説がある。

 初句「我が背子が」は、私の夫が、の意で、夫を待つ女性の立場から語り出す。
 二句「使来むかと」は、使いが来るだろうかと、の意で、初句からここまでが、待つ女が門口に出で立つ意から地名の「出立」を導く序詞となっている。
 三句「出立の」は地名であり、「出で立ち」の意を掛けて序を受ける。
 四句「この松原を」は、目の前の松原を指す。「松」には「待つ」の意が響き、序の待つ心と呼応している。
 結句「今日か過ぎなむ」は、今日は過ぎて行ってしまうのだろうか、の意で、係助詞「か」と「む」が係り結びをなす。「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形である。

せこ:女性が夫や恋人を親しんで呼ぶ語
いでたち:地名の出立に、門に出て立つ意を掛ける
出典
万葉集
前の歌
風莫の浜の白波いたづらに ここに寄せ来る見る人なしに
次の歌
藤白の御坂を越ゆと白栲の 我が衣手は濡れにけるかも