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背の山に黄葉常敷く神岳の
山の黄葉は今日か散るらむ

歌の意味
背の山には黄葉がいつも散り敷いている。故郷の神岳の山の黄葉は、今日散っているのだろうか。
鑑賞
巻第九 雑歌 1676

詞書は前の歌に続き「大宝元年辛丑冬十月、太上天皇、大行天皇、紀伊国に幸す時の歌十三首」
 旅先の背の山で散り敷く黄葉を見て、故郷飛鳥の神岳の黄葉も今日あたり散っているだろうかと思いやる望郷の歌である。目の前の黄葉と遠い故郷の黄葉とを重ね、旅の地と都を結んでいる。
 大宝元年(701)の紀伊行幸の歌十三首の十首目である。背の山は和歌山県伊都郡かつらぎ町の山で、紀ノ川をはさんで妹山と向かい合う。神岳は飛鳥の神奈備山で、雷丘とする説やミハ山とする説がある。

 初句「背の山に」は、旅先の山の名を示す。
 二句「黄葉常敷く」は、黄葉がいつも散り敷いている、の意で、ここで句切れとなる。「常」は絶え間のない様をいう。
 三句「神岳の」は、故郷飛鳥の神の山を示し、旅先の背の山と対をなす。
 四句「山の黄葉は」は、二句の「黄葉」を繰り返し、目の前の黄葉と故郷の黄葉とを対にしている。
 結句「今日か散るらむ」は、今日散っているのだろうか、の意で、係助詞「か」と現在推量の「らむ」が係り結びをなし、遠く離れた地の今の様子を推し量る。本巻の第千六百七十四首の結句「今日か過ぎなむ」、第千六百八十一首の結句「今日か越ゆらむ」と同じく「今日か」で結句を始めている。

もみち:秋に色づいた木の葉
しく:一面に散り敷く
かむをか:神の降り宿る丘、飛鳥の神奈備山を指す
出典
万葉集
前の歌
藤白の御坂を越ゆと白栲の 我が衣手は濡れにけるかも
次の歌
大和には聞こえも行くか大我野の 竹葉刈り敷き廬りせりとは