春山は散り過ぎぬとも三輪山は
いまだふふめり君待ちかてに
- 歌の意味
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ほかの春の山の花はすっかり散ってしまっても、三輪山の花はまだつぼみのままでいる。あなたのお越しを待ちかねて。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌 1684
詞書は前の歌に続き「舎人皇子に献る歌二首」
ほかの春山の花が散ってしまっても、三輪山の花はまだつぼみのままで、あなたが来るのを待ちかねていると詠む歌である。花に託して、皇子の訪れを心待ちにする気持ちを伝えている。
舎人皇子に献った歌二首の二首目である。三輪山は奈良県桜井市の山で、大物主神を祀る大神神社の神体山である。
作者の柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人である。本歌は柿本人麻呂歌集から採られたもので、この歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が集めた他の人の作とが含まれると考えられている。舎人皇子は天武天皇の皇子で、日本書紀の編纂を主宰した人物である。
初句「春山は」は、一般の春の山をいい、三句の「三輪山は」と対比される。
二句「散り過ぎぬとも」は、散ってしまっても、の意で、逆接の仮定を表す。
三句「三輪山は」は、係助詞「は」で初句の「春山は」と対をなし、三輪山だけを際立たせる。
四句「いまだふふめり」は、まだつぼみのままでいる、の意で、ここで句切れとなる。「ふふむ」はつぼみがふくらんで開かないさまをいい、「り」は存続の助動詞である。
結句「君待ちかてに」は、あなたを待ちかねて、の意で、つぼみのままでいる理由を最後に示す倒置である。本巻の第千七百三首の「黄葉片待つ」、第千七百五首の「片待つ我れぞ」と同じく、皇子への献歌の中で待つ心が詠まれている。
ちりすぐ:花がすっかり散ってしまう
ふふむ:花がつぼみのままでいる
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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妹が手を取りて引き攀ぢふさ手折り 我がかざすべく花咲けるかも
- 次の歌
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川の瀬のたぎつを見れば玉藻かも 散り乱れたる川の常かも