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高島の阿渡川波は騒けども
我れは家思ふ宿り悲しみ

歌の意味
高島の阿渡川の川波は騒がしく音を立てているけれども、私はひたすら家のことを思っている。旅の宿りが悲しいので。
鑑賞
巻第九 雑歌 1690

詞書「高島にして作る歌二首」
 高島の阿渡川の波が騒がしく音を立てていても、それにまぎれることなく家を思い続けていると詠む歌である。旅の宿りの悲しさが、川波の騒がしさと心の中の静かな思いとの対比によって表されている。
 高島は現在の滋賀県高島市で、阿渡川は琵琶湖西岸に注ぐ安曇川である。本巻の第千七百十八首第千七百三十四首も高島の安曇の港を詠んでおり、琵琶湖西岸の旅の歌が本巻に集められている。
 作者の柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人である。本歌は柿本人麻呂歌集から採られたもので、この歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が集めた他の人の作とが含まれると考えられている。

 初句「高島の」は、旅の地の名を示す。
 二句「阿渡川波は」は、阿渡川の川波は、の意である。
 三句「騒けども」は、騒がしく音を立てているけれども、の意で、逆接で次の句へつなぐ。
 四句「我れは家思ふ」は、私は家を思っている、の意で、係助詞「は」が自分を川波と対比させている。ここで句切れとなる。
 結句「宿り悲しみ」は、旅の宿りが悲しいので、の意で、「み」は原因や理由を表す接尾語である。家を思う理由を最後に置く倒置となっている。

さわく:騒がしく音を立てる、ざわめく
やどり:旅先で宿ること、旅の宿
作者
柿本人麻呂
出典
万葉集
前の歌
あり衣辺につきて漕がさね杏人の 浜を過ぐれば恋しくありなり
次の歌
旅なれば夜中をさして照る月の 高島山に隠らく惜しも