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春草を馬咋山ゆ越え来なる
雁の使は宿り過ぐなり

歌の意味
春草を馬が食うという名の馬咋山を越えて来るらしい雁の使いは、私の宿を素通りして行くようだ。
鑑賞
巻第九 雑歌 1708

詞書「泉川の辺にして作る歌一首」
 馬咋山を越えて来る雁の声を聞き、便りを運ぶという雁の使いが、自分の宿を素通りして行くようだと嘆く歌である。雁が手紙を運ぶという故事を踏まえ、家からの便りのない寂しさを詠んでいる。
 泉川は京都府南部を流れる木津川で、馬咋山はその付近の山とされる。雁の使いは、漢の蘇武が雁の足に手紙を結んで便りを伝えたという故事に基づく語である。
 作者の柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人である。本歌は柿本人麻呂歌集から採られたもので、この歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が集めた他の人の作とが含まれると考えられている。

 初句「春草を」は、春草を馬が食う意から「馬咋」を導く表現である。
 二句「馬咋山ゆ」は、馬咋山を通って、の意で、「ゆ」は経由を示す。
 三句「越え来なる」は、越えて来るらしい、の意で、「なる」は音による推定の「なり」の連体形である。
 四句「雁の使は」は、便りを運ぶ雁をいう。本巻の第千六百九十七首の「家人の使ひ」、第千六百九十八首の「間使ひ」に続いて、ここでも使いが詠まれている。
 結句「宿り過ぐなり」は、宿を過ぎて行くようだ、の意で、「なり」は推定を表す。三句の「なる」と結句の「なり」とで、声によって雁の動きを推し量っている。

かりのつかひ:雁が手紙を運ぶという故事から、便りを伝える使い
作者
柿本人麻呂
出典
万葉集
前の歌
山背の久世の鷺坂神代より 春は張りつつ秋は散りけり
次の歌
御食向ふ南淵山の巌には 降りしはだれか消え残りたる