みもろの神の帯ばせる泊瀬川
水脈し絶えずは我れ忘れめや
- 歌の意味
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三輪山の神が帯としておられる泊瀬川の、その流れが絶えない限り、私が忘れることがあろうか。
- 鑑賞
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巻第九 相聞 1770
詞書「大神大夫の長門守に任けらゆる時に、三輪の川辺に集ひて宴する歌二首」
三輪山の神が帯のように巡らせる泊瀬川の流れが絶えない限り、この地と人々を忘れることはないと誓う歌である。故郷の神聖な山と川を持ち出して、変わらぬ心を表している。
詞書によれば、大神大夫が長門守に任じられた時、三輪の川辺に集まって開いた送別の宴の歌二首の一首目である。作者は記されていないが、旅立つ大神大夫自身の心とみる説がある。左注によれば、この二首は古集から採られている。大神大夫は、大宝二年(702)に長門守に任じられた大三輪高市麻呂を指すと考えられている。高市麻呂は持統天皇の伊勢行幸を農事の妨げになるとして諫めたことで知られる。
初句「みもろの」は、神の降りる所の意で、ここでは三輪山を指す。
二句「神の帯ばせる」は、神が帯としておられる、の意で、「せ」は尊敬の助動詞である。山の麓を流れる川を、神の締める帯にたとえている。
三句「泊瀬川」は、三輪山の麓を流れる川で、三輪川とも呼ばれる。
四句「水脈し絶えずは」は、流れが絶えない限りは、の意である。「し」は強めの助詞である。
結句「我れ忘れめや」は、私が忘れることがあろうか、いや忘れない、の意の反語である。「め」は推量の「む」の已然形、「や」は反語を表す。
みもろ:神の降りる所、ここでは三輪山
みを:水の流れる筋
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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かくのみし恋ひしわたればたまきはる 命も我れは惜しけくもなし
- 次の歌
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後れ居て我れはや恋ひむ春霞 たなびく山を君が越え去なば