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後れ居て我れはや恋ひむ春霞
たなびく山を君が越え去なば

歌の意味
後に残って、私は恋しく思うことだろうか。春霞のたなびく山を、あなたが越えて行ってしまったならば。
鑑賞
巻第九 相聞 1771

詞書は前の歌に続き「大神大夫の長門守に任けらゆる時に、三輪の川辺に集ひて宴する歌二首」
 春霞のたなびく山を越えて旅立つ人を思い、後に残された自分は恋しく思い続けるだろうと、別れを惜しむ歌である。霞に隠れて見えなくなる山の姿が、遠ざかる人への思いを深めている。
 三輪の川辺の送別の宴の歌二首の二首目で、見送る側の心を詠んでいる。左注によれば、古集から採られた歌である。大神大夫は、大宝二年(702)に長門守に任じられた大三輪高市麻呂を指すと考えられている。高市麻呂は持統天皇の伊勢行幸を農事の妨げになるとして諫めたことで知られる。

 初句「後れ居て」は、後に残されて、の意である。本巻の第千六百八十一首の初句と同じ句で、次歌の第千七百七十二首も同じ句で始まる。
 二句「我れはや恋ひむ」は、私は恋しく思うことだろうか、の意である。係助詞「や」を受けて、推量の「む」の連体形で結ぶ係り結びとなる。次歌の二句とも同じ句で、見送る者の嘆きが二首続けて並べられている。
 三句「春霞」は、春に立つ霞で、山を覆って見えなくするものとして詠まれる。
 四句「たなびく山を」は、霞が横に長くかかる山を、の意である。
 結句「君が越え去なば」は、あなたが越えて行ってしまったならば、の意である。倒置によって、別れの条件を結句に置いている。

おくる:後に残される
出典
万葉集
前の歌
みもろの神の帯ばせる泊瀬川 水脈し絶えずは我れ忘れめや
次の歌
後れ居て我れはや恋ひむ印南野の 秋萩見つつ去なむ子故に